いよいよ、一万円札が 渋沢栄一になります。
そこてで、自分なりに気になる点を、いくつか紹介しようと尾も増す。
渋沢栄一と、福沢諭吉に共通するものといえば「論語」です。
福沢諭吉は、論語批判で有名でありましたが、現実的に正論だと感じますが
半面、論語読みの論語知らずともいえそうです。
渋沢栄一といえば「論語とそろばん」と書籍を晩年に執筆しています。
そここで、福沢諭吉→論語批判
渋沢栄一→論語の精通した聖者
とも、思えます。
今回の、福沢諭吉から、渋沢栄一に代わったことは、ある意味、金融界の革命といえるでしょう。
福沢諭吉の書籍は、すべて読みましたが、物理的な思考能力で現実的に対し
渋沢栄一は、論語を活用した経営。特に人間関係に力を注ぎました。
福沢諭吉「学問のすすめ」には、勉強しないと貧しくなる、だから勉強は必要であるに対し
渋沢栄一の論語には、お金に執着するより心の豊かさを強調していました。
お金に、興味のある方は、自然と渋沢栄一を調べたり、渋沢栄一の書物や、参考にした書物を学んでいると思われます。
福沢諭吉で、唯一共感できる書物は「国を支えて国を頼らず」でした。
次に「童蒙おしえ草」は、滑稽本に思えますが、読んでみて、つい、笑ってしまう当時は真面目に書かれたものです。
実は、昔話の否定本です。
江戸時代の「桃太郎」と、明治以降の「桃太郎」は、鬼退治の動機が違っています。
いついつ笑ってしまったのは、やはり、江戸時代の桃太郎の鬼退治は「鬼」というだけで、悪役になってしまいました、
つまり、なにも罪のない「鬼」というだけで、桃太郎は、鬼退治に出かけことに諭吉は激怒。
そこは、福沢諭吉の真面目さが伝わります。
「童蒙おしえ草」が出版された明治以降の桃太郎は、鬼に、何かしらの罪を付け加えたのは有名です。
特に、核、童話の作者が鬼が、姫や、宝物を略奪した話は、明治以降となります。
次に、実は、福沢諭吉よりも、お金に関しては、娘婿の福沢桃介が候補になります。
福沢諭吉と福沢桃介を比較してみると、桃介のほうが、実業家としての経営者として素質は上だと感じられます。
そして、渋沢栄一
なんといっても、「論語と算盤」これだけは、読んでもらいたいと思っています。
福沢諭吉との違いが明確です。
渋沢栄一は、果たして、「聖者」なのでしょうか?
「論語と算盤」の最後には、「女人関係以外は、なにも卑しいことは何もしていない」と一筆本音を書いたところも、渋沢栄一の魅力というべでしょう。
たしかに、「論語」には、不倫や、女性関係についての規則や教えもありません。
これも、ある意味「論語」を何度も読み返し、理解した結果の現れだと感じます。
新一万円札の変更で、昭和、平成時代の「お金」に関するものは、一定の変化はありそうと予測できます。
論語の基本は、「質素」ですから、今まで高級品の需要が減っていくと予想して
今回の話は、終わりとします。
最期まで読んでいただきありがとうございました。