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原種シクラメン&ヘレボルスのブログ

ヤフーブログ「原シク大好き」から引っ越してまいりました。原種シクラメンとクリスマスローズを中心にUPしていきたいと思います。

こうして発芽から4年目のシーズンがやってきた。ちょっとお高い籾殻鉢を使用したことで、前年同様忘れた頃にの水やりじゃったが根の状態はいつになく良かった。

 

もちろん一日に何回も土を払いのけては生存確認だけは怠らなかった爺さまじゃった。その熱意を知ってか知らずかヴェシ花もその年の目ざめは早かったという。

 

 

8月の終わりころになると鉢の中から声がした。「爺さま、おはよう」と。

爺さまは我が耳を疑ったがまさしくそれはヴェシ花の声じゃった。いつもの年よりひと月余りも早い、それはまるで買ってもらったばかりの新居に早く引っ越しいたいといわんばかりの声じゃったという。

 

ここは正念場の4年目、ヴェシカリウスの最短開花記録は5年目と聞いていた。別に焦っていたわけではないが記録更新は目の前に来ていると思ったという。早うお引越しを! それはヴェシ花が望んだことじゃった。

まだ彼岸前、気温が高いうちに植え替えるのは危険じゃったが可愛い愛娘の訴えに耳を貸さんわけにはいかなかったという。9月2日のことじゃった。

スネ夫も姉ちゃんの後をピッタリ追うように付いてきた。さすが姉弟の絆は強いものがあった。

ゆったりとした新居に無事引っ越しを済ませたヴェシ花。開花への階段を一歩づつ順調に上がる予定じゃった。が、そこでまたもや災難が襲い掛かる。

なんと10月6日未明、大型台風が直撃したのじゃった。もちろん風対策に寒冷紗と遮光ネットを張って万全のはずじゃったが、それがあだになってしまったのじゃ。補強杭を打ち込んで、まさか倒れまいと思っていた棚がものの見事にひっくり返った。幸いにも後ろのビニールハウスに支えられて全倒は免れたという。

置き場所が悪かったら棚から落ちていたじゃろう。主に原種シクラメンに鉢が割れる、行方不明になるなどの甚大な被害をもたらしたが、ヴェシ花はついていた。棚の柱に引っかかり被害を免れたのじゃ。

天災からひと月後、11月5日の様子じゃ。芽が増えていた。どこからどう蕾が出て花が咲くのも見当がつかなかったが、芽が幾つも出ているのは安心材料じゃった。いよいよかと爺さまの胸も高まる、そんな光景じゃ。

12月7日、ついに5枚目の本葉が展開した。ついに来たか!!

次に出るのは蕾を抱えた苞葉に違いない!!

すかさず中を覗き込む爺さま。真ん中の隙間がどうにも気になる。

まさか!? 蕾か!?

 

じゃが、爺さまの妄想もここまでじゃった。ヴェシの花を見たことがあるという花友さんに見てもらったところ、尖って出てくる葉は苞葉に非ずとバッサリ切り捨てられた。

 

諦めきれない爺さま、なおも食い下がる。花友さまは続けて言った。

苞葉とはまるで大事なものを包み込むように丸く出てくるものだと。

 

まことに的確な指摘じゃった。爺さまはぐうの音も出んかったという。それでも諦めきれない爺さま、来る日も来る日も中を覗き込んではため息をついていた。

 

12月25日になった。何枚出ても葉っぱばかりじゃった。

年が明けて、2月25日じゃ。わさわさとセロリのような葉っぱが生い茂り、4年目で開花の新記録樹立はならんかったと爺さまも認めざるを得なかったという。

 

じゃがどこまでも貪欲な爺さま、新記録がならねばタイ記録じゃ。毎年の植え替えがストレスになっていただろうとはおよそ見当がついていた。植え替えをしないで済む来季こそ開花のチャンスじゃ。爺さまの鼻息は更に荒かった。

 

 

 

                                つづく。

 

 

 

2年目も順調な生育ぶりで休眠に入ったヴェシ花。最初のころは何も分からず手探り状態じゃったが、なんとなくその扱いに慣れてきた爺さま。

 

10日に一度の水やりではまだ多すぎると感じた。ヴェシ花も大分大きくなってきた。休眠期の水やりは20日毎にするかのう。じゃがそこで一つ問題があった。10までなら手の指で数えられるが20では指の数が足らん。

 

ほとほと困り果てた爺さま、そこでひらめいた。そもそも10日に一度、20日に一度なぞ何の決まりがあるわけではない。適当でええんじゃないか? 几帳面な割にどこか抜けている爺さまじゃった。このころになると枯れるなどとは夢にも思わぬ、ヴェシ花が見事な花を咲かせている姿しか頭に浮かばなかったという。

 

水やりは前回いつ行ったか忘れたころにすると決めた。10日や15日前なら覚えていられるという自信があったが20日も経つと忘れているじゃろうと勝手に思えた。

 

そんな作戦が見事にはまった! 9月に入った頃、前年と同じように頭頂部が緑色に輝いた。枯れるはずがないと根拠のない自信があったがやはり嬉しい。涙こそ見せなかったが静かにヴェシ花との再開を喜んだという。

 

3年目、やはり今年も彼岸の開けるのを待って植え替えることにした。2年目に比べれば根の量ははるかに増えてはいるが、まだ先端は黒ずんで腐っている。触るとポロポロと根が落ちる嫌な感触は前と同じじゃった。

スネ夫も生きておった。わずか20日ばかりしか誕生日が違わんのに、まるで大人と子供のようじゃった。まだ水が多いのか!? まことに頭を悩ませてくれるヴェシ兄弟じゃ。

鉢は籾殻鉢を奢った。爺さまにとって、とても高い買い物じゃったが少しでも通気性をよくして根を守りたい一心じゃった。もしかして3年目で開花するかもと淡い期待をも背負っている、そんな鉢じゃった。

10月30日、植え替えからひと月ほど後のころじゃ。前年はひと月で1枚しか出なかった葉っぱが今年は2枚も出ておる。いよいよ今年の開花もありうるのかと、あらぬ妄想に胸が膨らむ爺さまじゃった。

1枚づつ、葉っぱが出るたびに、次は蕾かと覗き込む毎日を送る爺さまじゃったが、葉っぱ7枚出たところで諦めた。4月1日のことじゃった。

 

このころになってようやく気が付いた。本葉5枚が開花サイズではない。開花サイズになった株であるならば、本葉5枚を展開したのちに蕾を抱えた苞葉が出現するという意味だったのじゃ。極端に情報の少ない中から自分の都合の良いことだけをいいように解釈する、そんな爺さまじゃった。

 

更にもう一つ大きな勘違いがあった。ヴェシカリウスの風船のように大きく膨らんだ種鞘が、風にあおられて砂漠をどこまでも転がってゆく、そんなあたかも見てきたような話に尾ひれがつき、ヴェシカリウスの根は地中深くの水脈を求めて1メートルにも2メートルにも達すると。しかるにヴェシカリウスを育てるには土管に植え付けるべしと本気で唱えるものもおったという。

 

土管を手に入れる当てはあったがさすがにやめた。植え付けたが最後、移動が困難になるからじゃ。もう開花まではそんなに遠くないはず、ヴェシ花に新居を与えてやらねばならんがな。さりとて建て売りなどでは1メートルも2メートルも伸びる根が収まりきれんのう。

 

はて、困ったもんだわい。ふと、無いなら作れの言葉が頭に浮かんだ。そうじゃ、作ればよいのか。幸いにも近くに陶芸教室なるものがあった。が、入会金30万両。。。しかも作ることのできるのは茶碗か湯飲み程度のものじゃった。ヴェシ花のためなら何でもできる、そんな爺さまじゃったが限界があった。

 

そんなときじゃった。間口7寸、奥行き(深さ)1尺3寸の特注物件を見つけた。丹波立杭焼き、1万5千両の物件じゃ。そのころになるとヴェシ花一筋を貫き、他の娘たちに浮気することなく過ごしていた爺さまに、少しだけ懐に余裕が出来ていたという。迷わず注文した。

 

                                                                        つづく。

 

 

 

 

 

 

深い眠りについたヴェシ花になすすべもなく、かと言って家族の誰一人として相手にされず、寂しいひと時を送るしかなかった爺さま。生きておるか心配でヴェシ花をホジホジして声をかけるも返事があるはずもない。ないのは分かっておっても毎日毎日、いや、1日に何度も何度も土を払いのけては様子をうかがった。

 

そんなことを3ヶ月ほども繰り返したころじゃった。9月の半ばごろになってようやくヴェシ花に動きが見えた! 頭頂部に何やら緑色のものが輝いて見えたのじゃ。生きておったのか!? まさに生き別れとなっていた愛娘との再会の瞬間じゃった。歓喜の涙にむせび、体は子犬のように打ち震えたという。そうなればヴェシ花の健康状態を知るために一刻も早く根が見たい!! 爺さまは、はやる気持ちを抑えきれんかったという。

 

そしてここが試練の正念場じゃった。まだ気温が高いうちに植えかえれば腐ってしまうかもしれん。「暑さ寒さも彼岸まで」というではないか。

涼しくなるのをじっと待った。彼岸が明けるまで、その2週間ほどが3年にも5年にも思えたという。

 

焦らされて気も狂いそうなほどの爺さま、もはや我慢の限界じゃった。

9月27日のことじゃった。ついに辛抱堪らずヴェシ花を鉢から抜いた。もう少し根はあったが触るとポロポロと落ちた。今までに味わったことのない、まことにいや~な感触じゃった。ところどころ根が黒ずんでおる。まだ水やりの回数が多すぎたのか!? 何はともあれ生きておったのじゃ、贅沢は申すまいと心に誓ったという。

幸いなことに小さいながらスネ夫も命をつないでおった。これが誕生日が20日ほど遅く、1年目に本葉を出したものと出さなかったものの差かとも思えた。

 

植え替えた後、本葉1枚が展開するまで1か月以上かかった。

これが11月8日の様子じゃ。しかし気温が下がってくるとその成長はさらに著しいものがあった。

2月の終わり、3枚の本葉が展開し、4枚目が出ようとしていた。当時、ヴェシの開花サイズは本葉5枚であると、まことしやかにささやかれておったという。

 

まさか!? このペースでいけば本葉5枚などたやすいこと、2年目にして開花サイズになってしまうのか!? 開花までおよそ8年を要すると言われておるヴェシカリウス。そんなことはないとは分かっていても、あらぬ妄想にさいなまれる爺さま。夢と期待で胸が締め付けられるようじゃったという。

5月1日、ついに5枚目の本葉が展開したが1枚目が役目を終えて枯れた。休眠が近いことを物語っておったのじゃ。

 

さすがに2年目の開花はないと悟った爺さま、さすれば来年、3年目での開花もありうるのか!?  爺さまの妄想はさらに膨らんでいくのじゃった。

 

 

 

 

 

 

                                           つづく。

さて、爺さまには隠し子がおった。

 

ヴェシ花ちゃんのことを隠し子だと勘違いされておる方もいらっしゃるようじゃが、ヴェシ花は婆さま公認の子じゃ。隠し子などではない。

 

爺さまの性分として、気難しい植物を育てる時には必ずといっていいほど同じものを二つ仕入れた。万が一の時にどちらかが残ってくれるだろうという甘い期待じゃったが、大概の場合そんな夢や希望は打ち砕かれておった。それでも懲りることはなかったという。

 

さすがの爺さまも、五千両のものを二つおねだりするには気が引けた。が、どうしてもひとつでは不安じゃった。

 

そんな折じゃった。爺さまの会社では年末調整が毎年1月10日に現金支給があった。婆さまも共働き故、その存在には気付いているようじゃったが敢えてそのことには触れなかったという。これも婆さまなりの気遣いのような気もした。1年に一回だけのお楽しみ、一万両前後を手にするのはまさに至福の瞬間じゃ。経理のおねえさまに幾度も頭を下げてそうっと懐におさめた。

 

その数日後、ヴェシカリウスの発芽苗が同じところから販売されておった。ヴェシ花より20日ほどあとに生まれた子、おそらく兄弟であろうと思われた。のちに「スネ夫」と名づけられることになるこの子は、爺さまのへそくりによってこっそり迎え入れられたのじゃった。まさに日陰の子、婆さまにも決して打ち明けられぬことのない隠し子じゃった。有り難いことに価格も1割ほど下がっておって4千6百両で買うことが出来たという。

 

兄弟を比べるのは厳禁、と頭の中では理解しておるつもりじゃったがその生育の差は歴然としていた。わずか20日ばかりしか誕生日が違わないのに、グングン成長を続けるヴェシ花に対してスネ夫はとうとう休眠まで本葉を出すことはなかったという。

 

別にほったらかしにしていたわけではなかったが、目の中に入れても痛くないほど可愛がったヴェシ花ちゃんに、どこか拗ねているようじゃった。この様子を察した花友さんが「スネ夫」と名付けてくださった。可愛そうなことに写真も撮ってもらえなかったという。

 

5月に入ると役目を終えたヴェシ花の双葉が枯れた。

その頃には不完全ながらもしっかりとした本葉が展開しておった。

さらにそのひと月後、6月半ばのことじゃった。ヴェシ花は休眠の準備を始めた。休眠するというのは分かっておったが、このあとどうしたものかと考えあぐねる。当時、ヴェシカリウスの生育サイクルや生育環境についてはまだ情報も少なく錯綜しておった。

 

成長を続けている間は深い信頼関係のもとに心を通わせていたヴェシ花じゃったが眠ってしまってはさすがの爺さまも手も足も出んかったという。

 

草木も生えぬような砂漠に自生しておるので休眠中に水を与えると腐って枯れるという説もあった。しかし爺さまはにわかにその説は信じられんかったという。かと言って全く根拠のない話ではないかとも疑った。

 

さて、どうしたものか。水を与えれば腐る、やらなければ枯れるという究極の選択が待ち構えておった。正解を見出せぬまま、その間を取るしか選択の余地はなかった。

 

水やりは10日に一度たっぷりと、と決めた。いつ目覚めるとも分からぬヴェシ花への一世一代の賭けじゃった。

 

 

 

 

 

                                    つづく。

 

 

 

 

サクラはあっと言う間に終わってしまったけど。

菊鉢に収められた一歳フジが咲き始めました。毎年、植え替えてあげなくちゃと思いながら早10年(笑)

 

 

 

物語を読む前に

さきの東日本大震災で被災された方、ご家族御親戚、また友人を亡くされた方々には心よりお悔やみ申し上げます。また、福島に於いては、まだ3万人以上の方が避難生活をされているという報道を見るたび心が傷みます。一日も早い復興を願わずにはいられません。

 

そう、あれは忘れもしない3月11日のことじゃった。

 

普段は爺さまか婆さまの、どちらかが仕事、あるいは二人とも仕事のはずじゃったが珍しく休みがピタリと合う幸運な日じゃったという。

 

風も無く穏やかな日じゃった。春の日差しも暖かく、二人はときも忘れて庭で語り合っていたという。もちろん愛などではない、ご近所のうわさ話じゃ、勘違いせんように。

 

しかし、その二人を引き裂くほどの悪夢が襲い掛かることになる。

ゴー!ガタガタガタ!グラグラ! 天地がひっくり返るほどの酷い揺れじゃった。

 

なんじゃ!?何が起こったのじゃ!?二人は辺りを見回した。どこの家々もみんな外に飛び出しておった。しばらくして揺れが収まった頃、家の中を見て回った。幸いにも棚から落ちたものもなく、家も無傷だったという。

 

びっくらこいた~! ハッと我にかえって気が付いた。電気がついておらん!携帯も通じん!一瞬にして何の情報も入らん陸の孤島と化してしまったのじゃ。慌てて車のラジオをつけてみた。ラジオの向こうではアナウンサーが大変じゃあ!大変なことが起こっとる!と叫ぶばかりでさっぱり要領を得ん。

 

突然のことで取り乱してしまったが、おっ、そうじゃ。子供をお迎えに行かねばならぬと気が付いた。近くの小学校では子供たちが校庭に集められ、父兄がお迎えに来るのを待っていたという。うちは遅かった方じゃが最後の一人ではなくて幸いじゃった。次男は無事確保した。

 

次は15キロほど離れた町に通う高校生の長男じゃ。すぐさま車で学校まで行ってみた。高校ではさすがにお迎えなど待っているものはおらんかったという。じゃが、電車も止まっとる状況でどうやって帰れというのじゃ。取り敢えず爺さまは周辺を探したが発見できず、仕方なく帰宅の途についたそうじゃ。

 

辺りは暗くなりしんしんと冷えてきた。こんな時でも爺さまは「ヴェシ花」のことを忘れていなかったという。今夜もまた「ヴェシ花」を玄関に招き入れた。

 

午後7時、明かりもつかず真っ暗な中、玄関が開いた。長男が帰って来たのじゃった。4時間近くを歩いてきたという。ろうそくをもって家族みんなで出迎えた。

 

疲れたのか安心しきったのか、長男はよろよろっとよろけた。

爺さまは、あっ!と叫んで裸足で玄関に飛び降りた。そして大事そうに「ヴェシ花」を胸に抱きよせたという。

 

そう、息子はよろけたひょうしに「ヴェシ花」を蹴飛ばし鉢を倒してしまったのじゃった。抱き寄せた次の瞬間、爺さまの背中にナイフで突き刺すような強い痛みが走ったという。その一部始終をろうそくの明かりの中、家族全員が見ておったのじゃ!

 

しまった!! 何ということをしてしまったのじゃ!抱き寄せるべき相手を間違えたわい。 爺さまは己の行動に悔いたが後の祭りじゃった。もはや爺様には、ほとぼりが冷めるまでおとなしくしているほか選択肢はなかったという。

 

しばらくの間、家族全員から口もきいてもらえず、「ヴェシ花」と爺さまの二人きりの生活が続いたそうじゃ。それは、ふた月もの長きにわたったというではないか。

 

                                     つづく。

 

 

 

 

 

原種シクラメン バレアリカムです。

バレアリカムは青みがかったシルバーリーフ.が特徴ですね。しばらく実生更新していないから今年あたり種取りかな。

原種シクラメン レパンダムのシルバーリーフ 白花です。

こちらも蕾と葉っぱがほぼ同時展開。開花が楽しみな一株です。

 

 

只今、皆様のブログにコメントお邪魔させていただいても「いいね」が押せない状態になっております。誠に申し訳け御座いません。



原種シクラメン クレチカム☓レパンダムの交配種。×メイキレイです。

雑種強勢というのか、少しだけ丈夫な印象だね。