「堯舜の治(ぎょうしゅんのじ)」の話
「堯舜の治」とは、名君によって行われる理想的な専制政治の意味に用いられている。
堯と舜は中国古代の帝王の名前で、堯は氏を陶唐と称するため陶堯とも言い「その仁は天下の如く、その知は神の如し」と言われている。その位にある時は、身を修める事に大変厳しく、丸太のままの木材を垂木(たるき)とし、屋根は茅の葺き放しで剪ることもなく、生活は実に質素そのものであった。そのために、天下は良く治まり、万民はその徳を謳歌して、孔子もその善政をたたえて「大いなるかな堯の君たるや、巍々乎(ぎぎこ:高大なるすがた)たり、唯だ天を大なりとする」と言っている。
舜は氏を有虞(ゆうぐ)と称し、舜帝とも言う。継母が異母弟の象を溺愛して舜を憎み、しばしば母子が相談をして舜を亡き者にしようとしたが、それにも拘わらず舜はよく苦境に耐えて孝悌(こうてい:父母に孝行する事)の道をつくし、ついに父母や弟を感化するまでに至った。後に堯王を助けて国政を執り、多くの賢徳ある名臣を登用して天下を泰平にしたのも彼である。
民衆はその徳を讃えて「卿雲(めでたい雲)爛たり(うるわしい)、禮縵々たり(盛んな様子)日月光華あり、旦(たん)また旦(明日も明後日も)」と唄った。
古(いにしえ)の 文見るたびに思うかな おのが治むる 国はいかにと
明治天皇