私は、長崎県の五島列島の生まれ。
白い砂浜、ターコイズブルーの海、濃い緑の自然のある美しい島です。
こんなに美しい故郷に生まれたのに、私には子供のころの楽しい思い出があまりありません。
思い出されるのは、いつも点いているテレビの音。
家族の間での会話はありませんでした。
酔っ払った父を起こさないようにと、息をするだけで音を立てているんじゃないかと、
恐る恐る呼吸をし、縮こまるようにしていました。
私にとっての家は冷たく音のしない場所でした。
友達と遊びに行くことはありましたが、家を離れることが不安で、
それと同時に家に帰ることも嫌だった感覚を今でも感じられます。
子供のころは、自分の家族以外他の家族がどんなものかを知らないものです。
5年生のとき、クラスの子はみんな甘やかされていると思って、
よくイライラしていました。みっともない、とも思っていました。
お母さんが話しかけたり、外で遊んでいるときにのどが渇いていないか
などと聞いてくるからでした。
お母さんが子供に注意を払ったり、何か欲しいものがないか聞いてきたりするなど、
そのころの私には不思議な光景でした。
両親が子供の世話を焼いて、子供が世話を焼かれるというものだと
いうものだとは知らなかったのです。
私には3歳上の障害を持った姉がいます。自然に両親の時間と労力は、
姉の方に費やされていました。
私が生まれたころから自立心が強かったのか、子供なりに自立するように
学んだのかは分かりません。一度母が私のことを世話の焼けない子だと、
誰かにうれしそうに話していたことを覚えています。
今思えば、これが私のBeliefのひとつを作り上げるきっかけとなった記憶です。
私は子供のころから、誰かに頼ることや甘えるということを学ぶことなく
育ってきました。
「どうせ誰も頼りにできないし、人間関係なんて意味がない」
誰に心を許すこともなく、大人になりました。