テレビもコンピュータも、その中での「時間」がきわめて早く流れています。
テレビでは「3分間以上同じ場面を続けない」という鉄則もあるようです。
「3分毎に場面が変わる、そして15分たったらコマーシャルが流れる」というテレビの時間に慣らされてしまい、今の子供たちは、それが「身についた時間のリズム」になっているのです。
しかし、「学び」にはゆったりとした時間が必要です。
特に「学問」は生きの長い論理を追求しなければいけないものです。
「論理的思考」ができる子供に育てたかったら、長い論理の連鎖を追いかけていけるよう、じっくりと論理と向き合えるように訓練しなければなりません。
自分で何かを見つけるためには「閑暇(かんか)」=「スコレー」が必要です。
閑暇の中から自分で工夫する子も育ち、自分でリスクをとって冒険する子も出てきます。
「創造性」とは新たなレールを敷くことです。
「創造性」のある人間を育てたかったら、途方に暮れさせ、そこから何とかする経験を積ませることが必要で、「途方に暮れるだけのゆとり」が大切です。
ツイッターやラインでは、向こうから連絡がくると即座に反応するのがあたかもルールになっているようです。反応の内容はともかく、「反応する速さ」が問題です。
テレビでも、司会者の言ったことに対し即座に何かコメントを求められます。すばやく気の利いたことを言えば人気者になります。
大切なことはじっくり時間をかけて考えねばなりません。よく考えもせず第一印象だけで行動すれば、軽率のそしりをまぬがれないでしょう。
「脳の反射の速い人間」を「頭が良い」として評価するのが、今の世の中です。
しかし、空間の範囲も定まらず、ルールもさだかでない状況の中で、新たなルールを作ったり、新たな世界を拓いたりするには、別の「頭」が必要です。
「機械の有能性に対する判断基準」を「人間の有能さに対する判断基準」と一致させてはなりません。
コンピュータを教育に持ち込むなら、子供たちに「コンピュータの有能さ」と「人間の有能さ」は違うのだということをきちんと教え、「コンピュータにはできない能力」を子供たちにつけさせなければなりません。
※「人間にとって寿命とは何か」(本川達雄著)から引用しています。