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2019年1月 備後の国のお寺詣り 

久代記から田邊美作守殿まで          

 

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八十路を越えてなおご活躍の諸先輩。

 

      京でご活躍のM氏からは「電子書籍として再版されました」・・・と。
・・かと思うと賀状には蒜山に向かう山中で庄山城主「陰山藤行」墓を探索する師の御姿が(^^)

    陰山藤行は世を憚った山名藤幸のこと?    一度は備後の宮久代家に身を寄せ、永禄五年(1562)生山城を尼子方から  奪い返し、毛利方の拠点としたと言われています。 しかしその後、永禄九年(1566)尼子に組したかどにより養子として入っていた宮景幸に亡ぼされたと伝えられていますこのお方は後に日野山名家名を再興し、日野景幸と名乗り神宮寺の再興を図ったり毛利氏に従い転戦したと記録に残されていますね。

 さてもう一方のA氏も・・・ このごろ出版が相次いでおります。

 こちらは生山城主山名藤幸を滅ぼした当の宮久代家の研究書でございます。日野景幸が毛利方に従い去った後、この地で久代家を継いだ方々のルーツですね。

その本久代家に伝わる「久代記」が収録されております。

 

古郷の苑にうえおく梅の華 香いやここに如月の末

 宮久代家の先祖宮弾正左衛門 利吉と云ふ人 明徳二年山名氏清謀反のみぎり氏清に一味の由、恩顧の地を追われ一族家臣三十余人、和州宇多郡を去り備後の国久代の里へ流れついて詠むうた一首。北の方も

   古里を出てまた見ぬ梅なれど主し尋ねて香来にけり

 また子息景英

梅の香を吹き来る風のなかりせば誰か知らせん古郷の宿

   痛ましや・・・・と。

 こちらは備後国に残った久代記。異本は幾つもあるようです。確かに軍記に収められた久代記はもっと詳細で趣きも深い感じがいたします。 

 奇しくも「敵味方」それぞれの研究書がそろったわけですね。さてこの次は宮氏が創建した久里村の浄久寺に家臣団資料があるそうで、始終村、未渡村の田邊家・・美作守のルーツ探しが甚兵衛の仕事となりそうです。変わったところでお寺巡り こっぽり。

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2019年1月 奥出雲蕎麦の旅なれど

横田八幡宮の謎など なお深し       

 

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蕎麦巡りの道すがら横田八幡宮にお参りをしました。立派な神社ですが初めてでした。

      スマホのグーグルナビに振り回されて、何もない山の中に案内されました。 あきらめて細道を辿ってそろそろと下りて行くと大きな神社に遭遇しました。奥出雲町大字中村です。

 

     八幡宮ですから御祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后ですね。

    随神門を抜けたあたりから不思議な霊気が漂いはじめました。

    神奈備先生のお話しによれば「仁多大社とも云う。京都の石清水八幡宮の別宮で 保元三年(1158)の官符に社名あり。」と古い。建久三年(1192)源頼朝が選定させた出雲八所八幡の一つとも云う。

 しかしその霊気はそんな曰く因縁では無いようでした。

    拝殿に上がる階段下に紅い実がついたふくらしの樹が鮮やかです。

さてその石清水八幡宮はその昔むかし、貞観元年(859)宇佐神宮のご神託によって翌二年、清和天皇が社殿を造営。という。

と云うからには注連縄が向かって左に元を飾るという習わしが繋がっておりますね。随神門の注連縄も左本ですね(写真ではよく見えませんが・・)

宇佐神宮では誉田別命、比咩大神(宗像三女神)、息長帯姫命ですがね。

伊予一宮 大山祗神社も大和の大神神社拝殿前の鳥居にも左本の注連縄ですね。越後国一宮 弥彦神社も同じだそうです。出雲大社も出雲国一宮 熊野大社も左本。国つ神の中のよんどころない神族を祀るという意思表示なのかと思えます。

     本殿のてっぺんに桐の紋。左の社殿の屋根には葵の御紋、軒下と賽銭箱には菊の御紋

そういえば・・石清水八幡宮に「徳川家の隠し葵」があるそうですね。

桜門の蛙股、正面の双鳩の裏側に神紋とともに「葵の御紋」が彫られている。参拝者からは見えないが、八幡大神からは正面でよく見えるところ。畏ろしい配慮ですね。

しかしこの霊気はそんな八幡大神のせいばかりではなさそうです。この地の小字は鑓目(やりめ)と言い鑓目大明神という産土神も祀られているそうです。曰く大国主命と伝えられています。もちろん荒神社には須佐之男命が祀られていて、宇佐神宮の三女神や葬られた国津神族の矜持も漂う横田八幡宮でした。

細道を下りてゆくと県道にでることができました、やれやれ~。

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2019年1月 奥出雲の蕎麦巡りの旅              

昔のことですので定休日などにご注意を    

 

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天気がいいので思いついて奥出雲 蕎麦の旅をしてきました。

一番目は稲田神社とゆかり庵の「姫のそば」

営業時間11:00~14:30 定休日 火、第三水曜日。 冬季休業中 残念!!

仕方ないので 神社にお参りして次に向かいます。

(拝殿の後ろに離れて本殿があります)

 

出雲駅前のあさひ亭 残念ながらここも定休日

 

以前おじゃましました川西そば工房 なんと1月~3月お休みで

毎月 月、水、金曜日が休日とあります。いやはや水車のどらごんも泣いています。

 

 それでは・・・と初めてですが一風庵。へ定休日は木曜日?

限定15食のコースもありますが、まずは割り子三段で。コシがあると言うのかこだわりの横田小そば。次にまいります。

古民家暖暖 休業中かと思ってネットで調べると定休日 火、水曜日。とあります。営業時間11:00~14:00.またの機会といたします。

八川の蕎麦屋も定休日。まぁこちらは待ち時間が長いですから除外ですけど。 

代わりに出雲そば粉を求めて横田の町をうろついてみましたがスーパーにもAコープにもJAにもありません。なんてことでしょうね!!

亀嵩駅の扇屋そば(営業時間9:30~17:00 定休日火曜日)、鬼そばは遠いので山県そばに寄って帰ることにしました。 

ざるそば 900円いただきました。美味しいですね。

こちらは営業時間10:30~17:00 定休日は水曜日。横田の火曜、水曜は避けたほうがいいですね。また改めてまいりましょう。では。

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2019年1月 寝酒代わりの              

元禄旅日記を読む。立春のころ    

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寝酒代わりに元禄旅日記を読む。

そう古い時代じゃないけれど300年ほど前の道筋に興味がそそられます。

伯耆の国、米子の歌人竹内自安の道中日記。元禄7年(1694年)

伯耆の六神社巡拝を兼ねて名所旧跡、歌を詠む旅の17日間。

上下2巻あり。この度は米子ー尾高ー宮原ー根雨ー奥渡ー黒坂

ー霞ー宮内ー印賀ー原ー米子。下巻でございます。

▼米子から尾高へ

▼尾高から宮原へ

宗像神社、八幡神社、大神山神社など

十五日。尾高を立て日野のかたへとおもむく。河岡にきて、船越何がしの水車を見て大僧正行尊のうたおもひ出。

はやき瀬にたえぬばかりぞ水車 われも浮き世にめぐるとをしれ

暮れつかた、宮原にたどりつき、従弟なりけるものの家にとまる。

▼宮原から根雨へ

樂々福神社、金伽羅童子,長谷部信連屋敷跡、長楽寺など。

馬にておくる。河岸の岩のかけぢ、せうごが淵などといふあやしき所をしのぎ行く。

白水より佐川、江尾のあわひ、山水おかしく錦さらせる秋のけしき、ただにも見過ごしがたくて・・・・。

 

二部越が日野本街道かと思うのですが、日野川沿いに馬で行く道もあるのですね

むこの山里 貝原の村を行く。

 

▼根雨から奥渡へ。

根雨神社など

又、馬にてやる。天王の宮の川辺にて、からうじて奥渡に来て佐伯氏のもとに泊まる。

▼奥渡から黒坂へ。

滝山神社、猿渡り、音無川、鏡岩など。

また馬にて黒坂までやる。黒坂から霞へ。

旅も11日目、いよいよ日南町へ入るときでございます。

楢原と生山のあはいに岩のさしおおひたるあり。 

孝霊天皇雨宿りのところ。この辺りから生山に入る道筋がわかりません。山越えしたと思うのですが、川沿いに上ったようですね。

▼霞から宮内へ。宮内から印賀へ。

神宮寺、西樂々福神社、大入峠、潤谷、解脱寺など

時雨いたくふりて、ぬれぬれ大入(だいにゅう)をこえゆく。

老の坂いとわびし。潤谷(うるたに)といふ所を過ぐ。

このあと宮内から印賀の里へと向かうのは、宮内樂樂福神社の江戸末期の古文書の孝霊天皇行幸コースとはまた違うようですね。

 

▼印賀から原へ、原から米子へ

五輪峠、中の谷、笹畑、わさ田、八子の山、。天万神社、青木神社など。

今年はこの行幸コースをたどる旅をやりたいものです。 

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2021年1月 石高ベストテン

龍神淵の謎解き    前に進め~         

 

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簡易水道をご利用の皆様へ 台所の水は糸筋のごとく流して凍らせぬやう

溜まった水は洗濯に利用しませう。また風呂の湯は流さず明日まで残しませう。

「上水道」というものの無き源流・甚兵衛庵では井戸水を流し放題でございます。

大寒波の備へをしながら今宵も湯たんぽで夜を越しまする。

 

で・・じげ風呂の暇つぶしとMyクラウド代わりに、江戸の生高ベストテンなるものを揃えてみました。

元禄郷帳(1701年)と、およそ一世紀半 あとの天保郷帳(1834年)の石高増加高で競います。 

 日野郡史にも安永九子年の写しと伯耆誌の記録がありますが一村で数字の記載もれがあったり伯耆誌の一村に誤植らしいものがあって気に入りませぬ。ので歴史地名体系32(鳥取県の地名)の石高一覧から 作ってみました。大きな違いは無いでせう。

 

                                                                                                       (単位:  石)

順位  村の名  戸数  天保郷帳  元禄郷帳  増加高

一位   大宮村   41戸  347     162    185(注1)

二位   折渡村      51          209                         63               146

三位   菅沢村      65          276                      140               136   (注2)

四位  下阿毘縁   61          291                      165               126

五位  上萩山    39          158                         65                  93

六位  宝谷村           26          158                         69                  89

七位  生山村           35          221                       136                  85

八位  細屋村           36          229                       152                  77

九位  大坂村           48          244                       172                  70

 

(注1) 榎垣内村を合算。   (注2)本山村を合算しています。

ゴシック文字の村はかの印賀鋼で有名な産地。他もたたら物語満載です。

タタラで崩された山の土砂で水田が開発されてきた事が想像できますね。

 

ついでに日南町内の天保郷帳(1834)で石高によるベストテンを調べてみますと増加高の順位とは違った一面が見えます。標高の低い村々では開拓は一足早かったと言えるかもしれません。

 

順位  村名  石高(石)  順位  村名  石高(石)

 

一位 下石見  947        六位  霞   365 

二位 郡家   484     七位  花口  304

三位 神戸上  432     八位  神戸  294

四位 萩原   380     九位  川本  294

五位 石原   380     十位  村尾  293

 

   石見村     多里村     日野上村     福栄村

 

ちなみに荒神原村では 元禄の拝領高は6石、天保にはまだ19石。

弘化二年(1845年)やっと石見川からの水路が完成したことで幕末に58石と記されています。(六郷村生高竈付)

 

では たたらこっぽり。