十年に一度ぐらいの盆だったかも知れない。
台風7号の豪雨のせいで灯籠の灯ともしを1日休んだのも初めてのことだった。
その代わり、盆の準備も送りも、4年ぶりにお客のおもてなしも無事に仕上がったように思える。移動エアコンを貰ったことで長い間暮らしていた二階の空き部屋の大掃除には汗だくだったが(婆やが・・) 新しいGest roomも出来上がったし、孫たちの別荘には良い評判のようだったね😊。
そんな嵐のあとの雨の日の暇つぶし。
パソコンの中から引っ張りだして我が家の「家譜」をつなぎ合わせてみた。
上の段から、初代から先代十一代までの戒名と俗名に没年。その下に300年までの年忌をセットしてみた。
残念ながら初代の300回忌は昭和63年に過ぎ去っておりました。そんなこともあって平成24年、祖父母の25,17回忌に合せて遅ればせながら八代高祖父米蔵の百回忌を致しました。しかしその後は年忌はこれを限りにつつましくやることにしました。
親戚が苦労するからねぇ。
さて盆の夜のよもやま話その1。我が家の仏壇には初代信士萬藏の位牌は無い。菩提寺の山門過去帳にも無い。幽霊話しのようだがよくある話しだ。
土饅頭に塔婆だけの墓が石碑に変わってきたのが元禄の頃からだ、と云う。
これは我が家の二代目千吉の墓。自然石に刻まれたもの。
この地域の旧家の墓地を調査させていただいたことがあるが、かの有名な古都源八の初代の石碑が無い。正確に言えば賑やかに並んだ一族の石碑群の上座にあって戒名も何もが刻まれていない石碑が一つある。訳あって彫り損ねたのだろうと思う。
また出所の伝えは残っているが初代の墓が無いのは他にも多い。ただ二代目の石碑に父・・、母・・と刻み残してあった。大阪住吉大社の入り口に大きな狛犬を寄進した西村家(名越)愛助さまはその一族でしょう。
我が家の初代信士は早世したのだろうと解釈した(^^)。
二代目の石碑を建てたのは三代八郎兵衛でしょうか。
<三代信士>&<信女>&そのほか童子たち
三代目の墓を建てたのは四代長四郎でしょう。その次は十代の我が祖父。
たいした誉れも無く細々と続いた三百余年の盆のよもやま話
終わること無くつづいてゆきます。


