サテ帝此谷二人民可住ト思召宮社立御座在所二御慰仕給ハント思召御出会被成ツツ出会処二宮社ヲ立給ヒテ帝后御寄合有故二其所ヲ二社大明神ト号奉今細屋二社大明神是也 扨御往還ノ所二御茶屋ヲ立御休有即今ノ茶屋村是也 其所亦帝御見送有帝ト后ト若媛公ト御両三人御座タル故二三社大明神ト号奉今ノ茶屋三社大明神是也 亦帝ノ御所二トテ宮社ヲ立御座ス是ハ王ノ御座ス処ナレハ王宮大明神ト号奉御皈リ時笠ヲ御忘レ細谷エ御出ノ時笠ヲ置給故其所ヲ笠木ト申今ノ笠木村是ナリ細谷ト申コトハ細媛命御座タル故二村名ヲ細谷ト申奉

 

帝と后お二人が落ちあったので近世まで二社大明神と名付けられた御社は今の細谷神社でしょうか。後に印賀の御社から福媛命が合流して三人が集ったので三社大明神と言われた御社は今の三所神社(みところ)でしょう。 ただこの二つの神社の御祭神は孝霊天皇ではありません。三所神社の社伝では創立は天平十七年(745)大和国大神神社と大和神社より勧請したものとも伝えられています。千木は近隣に珍しい内削ぎです。御祭神は女神か??

 

三所神社

「鳥取県神社誌 因伯のみやしろ」によると御祭神は大物主命、大国主命、大山祇命他とあります。

細谷神社は 御祭神は経津主命、武甕槌命と・

 

だだし王宮大明神は由緒によれば「本社樂樂福神大明於当村所勧請・・(応永十二1405)」とあり、今の笠木の日谷神社です。主祭神は孝霊天皇と細比売命です。 

 

  「扨后若媛公御座タル所ニテ若媛御悩得給テ終二ハ不叶日数積テ御歳十五二為成給時孝霊五十九年巳巳年霜月十九日丁巳ノ日巳ノ時二若媛崩御成給帝后欲悲宮社ノ脇二印ヲ被成帝愁ノ御言二印ヲ加タリト御遺言有故二則村名ト被成印賀トハ印ヲ加ルト書タリ今ノ印賀村是也 則郷ト成ハ人民住シ所ノ御氏ト奉敬拝右悪魔ヲ退治仕給テ民ノ樂樂二住故二彼ノ神ノ御位名樂々福大明神ト奉号福媛ト御名ヲ申タル故二樂樂福ト書テ樂樂福大明神ト号権社実社〇奉祭者也 扨若媛崩御ノ後御后モ帝ト同殿二御座サント御言葉二ヨリ后宮社ヲ立給テ后ノ宮ナレハ則宮内ト御付給フ故二今ノ宮内是也 東ハ帝ノ宮殿ナリ西ハ后ノ宮社ト成御座ス」

 

 哀しきことですがやがて若媛命は怪我で亡くなられます。孝霊天皇が日吉津の津に上陸してから足掛け十五年?・・御年十五に成り給う霜月崩御されたと記されています。

この後 帝とお后は今の「宮内」の西社にお后、 東社に帝がおわすことになります。

 

さてこの次で「縁起帳」は終了です、が「余話」は幾つか続きます。