前回(その五)で紹介しておいた 倭の大王 武が宋の国へ送ったという親書に語られた祖禰(そでい=祖先)の時代。もう一つの謎巡りの地 楯築遺跡のことも記しておかないといけませぬ。

 

楯築遺跡

 

岡の上には大きな石が五個。看板には「弥生後期 2世紀末の頃の墳丘墓」とある。まさしく倭国大乱の時代のもので、全国最大級の墳丘墓です。

⇒ 楯築遺跡  

さて謎解きの旅は孝霊天皇から吉備津彦命へ移り、備前一宮 吉備津彦神社へと続きました。その本殿の四方に祀られているのが、樂樂森彦命、樂樂与理彦命、夜目麻呂命、夜目山主命です。備中一宮 吉備津神社には見えないこれらの軍神たちは吉備津彦命を祀る多くの神社の由緒に登場していてその足跡を残しています。

<その五>で予告しておいた鼓神社(備中二宮)にその謂れが残っています。

 

備中二宮 鼓神社

 

この時は手書きの看板でしたが現在は立派な看板に作り替えてあります。御祭神は

主祭神を高田姫命(吉備津彦命のお后)で高田の地の県主・樂樂森彦命の御子とあります。吉備津彦命の脇将・遺霊彦命、大吉備津彦命に吉備武彦命の五者です。

⇒ 備中二宮・鼓神社 

鼓神社前の川を渡ったところに<樂樂森神社跡>の碑が残されています。樂樂森彦命 の姿がますます大きくなってきます。

 いよいよ樂樂森彦命の中国山地越えとなりそうですが、その前に<温羅伝説>へと続きます。