ブログじげ風呂復活版です。
2016年12月 奥出雲をゆく
奥出雲地方のたたら御三家
田部家(雲南市)、櫻井家(奥出雲町)に続いて絲原家(奥出雲町)でございます。
旧仁多の大谷にある絲原記念館。我が家のある伯耆の国のはずれからは約1時間で到着できる、たたら御三家のなかでは馴染みの場所。
この日、一台の観光バスの先客がありました。
資料館も何度かおじゃましましたのはこの家紋にひかれてのことかもしれません。
もともとは「抱き茗荷」ですが、今は「丸に花抱き茗荷」。我がどん百姓家の抱き茗荷の家紋とは一味違いますね。ここも記念館は撮影禁止なので悪しからず。
国の有形文化財である居宅に進みます。
<御成門>
今日は藩主さまが御来遊のときお入りの御成門(おなりもん)から♪

土蔵をまわって進みます。<庭の飛び石>
酔っぱらいの先客でしょうか、せっかくの化粧が台無しです。
きちんと飛び石の上を歩きましょう。
庭園をめぐって <下駄>

大戸口へ向かいます。左が賓客用の式台玄関(しきだい)。
ワタシたち一般人は正面大戸口から^^

現在も事務所兼居宅としてご活躍中の493坪(延べ床面積)です。
こちらの母屋は新しく大正13年築でございます。
玄関は少しばかり高くなっていますね。
立派な梁組です。
「絲原家の祖は寛永元年(1624)に備後国から移住。松江藩の鉄穴流し解禁とともに、たたら製鉄業を開始し、天明8年(1788)には、現在地に主力鈩である”鉄穴鈩(かんなたたら)”を設けるとともに住居も移し、大正10年まで約280年間にわたりたたら操業を続けました」(奥出雲町教育委員会パンフレットより)
高殿と住居を設けた職住一体方式の”鉄穴鈩山内”です。四十数戸、二百数十人のくらしがあったと云われています。そうそう備後国のご先祖というのは山中鹿之助の同族と云う家伝があるとか・・・
とりあえずこれにて御三家の旅はいっぷくです。では