出来上がってから情報というものは出てくるもの。
日南町石見地域のリーフレット作成の顛末記・・・
 
 
地域の三界萬霊塔だけでも14番目が谷川のお堂の横で、15番目はよりにもよって地域振興センターの隣で、16番目は戦国の開拓者ご三家の一つ、花口の矢田貝家墓地で発見されました。
 
ついにこの度17番目の三界萬霊塔が上石見の名越家墓地で見つかりました(汗)
 
ひょっとして五輪さん等の無縁仏の供養でしょうか?
 
願主 名越貞吉とあります。
 
安永九 庚子天十月日 1780年です。
 
安永7 江戸大火、安永八 関東洪水と続き九年を明けると天明元年ですね。
 
 
こちらのお方も代々名越貞吉を名乗るので何代目の御仁かわかりません^^
 
江戸末期この辺りのタタラの元締めで(悪党じゃありませんよ)やがて大阪で鉄の商いを手広くやったと云う。どうも藩の管理と保護がしっかりあった仁多横田と違って、規制緩和だらけの伯耆のたたらは資源を食いつぶしただけで地域にこれといった遺産を残せなかったようですな。 
 
左隣りには西村家、右に名越家。たたらグローバリズムの終わりが伯耆の国とは悲しいけれど大江戸300年の空白がうらめしい~。
 
そのころの邸宅跡はそのままです。たたらこっぽり。

ブログじげ風呂復活版です。     

2016年5月 新緑ウオーキング

まだしっかり歩ける頃の思い出

 

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5月22日晴れそうですね。

新緑の郡家ウォーキング

 
田園の朝

健康ウォークですから、今回はしゃんしゃん歩きましょう。
 

と言いながらも一ヶ所、ワンポイント・ミステリー講座を入れましょう♪

 
薔薇のアーチ
 

鳥取県日野郡日南町中石見、郡家(こうげ)集落。千年昔の「和名類聚抄」という書物に書かれた日野郡六郷の一つ、「神戸」の郷の中心と考えております。郡家地内にある「神戸道上」とか「神戸屋敷廻り」という天保年間の地図に描かれた地名をたよりに・・・ここでいっぷくしていただきましょう。

 

いつの時代か定かではありませんが、上石見に勧請された大三輪の神さまを祀る、古き宮座の銘頭(九村八銘の内)がこの郡家グループであったのがその名残りですね。

 

7キロ散策の最後が、この大石見神社というコースでございまする。ではでは。

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2016年5月 源流ウオーキング
郡家の古き里を行く

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好天に恵まれて源流のてくてくウオーキング 7km無事終わりました。

おとといのノルディックウオークはパスして しまいました。

ごあいさつ


小さな校区のイベントですからこれで十分です。ベビーカーも参加。初っ発は備中国からの道しるべまで。

道しるべ



是より右大山、左下石見道  施主 南 宗七

どう考えても方角が合いません。日本遺産大山の牛馬市がさかんな頃

建てられたものでしょうが、道路工事とかで反対側に移転したらしい。

新緑ウオーク



新緑の農免道路を下ります。

郡家の里


本日の第一スポット。郡家の集落。神戸屋敷跡をめぐります。1000年前に和名抄に記された伯耆国日野郡 神戸郷の中心地です。おそらく1300年以上前から拓かれた地帯でしょうなどとガイドしながら進みます。

忌垣



石見川を渡って、今の県道に出たところに「忌垣」が残されています。大蔵山の鬼を退治して山から下りてきた神様が草鞋を脱いだ所と云われ、代々榊の木を植えて祀ってあります。



小高い丘の上に小さい祠堂が残っておりまして、一帯を神戸道上(かどみちうえ)と云います。今の県道が1300年前の神戸郷(かんべのさと)のメインロードに沿っているようです。そんな道を折り返し3キロ、上石見へと帰ります。

福重寺参道



最後の1キロは福重寺参道から大石見神社まで薄暗い妖しい古道を行きます。

諸霊位之碑


元和の昔(慶長のあと、1615-1623)この地に居を定めた祖先の霊を

弔って立てられた○○屋敷諸霊位之塚。周りは富貴草の群落です。

大石見神社



最後が大石見神社。イチョウの大木も青葉を繁らせています。

開運祈願して無事完歩。赤ちゃんはベビーカー でしたが・・・^^

マイクロ○×▽とかいう釣り具店のメーカーみたいな会社が

世界を牛耳っている。

シュレーゲルアオガエル

眠るのか、登るのかどっちかにしろー と言いたい。

シュレーゲルアオガエル


その悪賢い知恵とノウハウを世界平和に使って欲しいものだとフッと思った。うかつにもMSの侵入を許してしまった昨日の朝のことだ。

天南星



まむし草

またの名を天南星(てんなんしょう)

少々妖しいけれども源流の隠れガーデンに侵入してくる輩は皆それぞれ趣があって楽しみだ。「ふたり静」がひっそりと咲いている。二人で舞うよけい姿はあはれだ。

フタリシズカ



それでも少しは期待しているのだよね。

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2017年5月 二代目吉左衛門

上石見の大庄屋西村家のこと

 

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 またしても大雨、風の夜が明けて、見渡すと我が苫屋は谷底なればさほどのことはありませぬ。昨日のつづきで大山寺横手道の大鳥居でございます。

 この大鳥居、大山寺に西にはずれにあってその結界をなす、とも云う。

建立は嘉永七甲寅歳(1854年ー安政元年)。 

 

 こちらが正面。向こうは大山寺。左の柱に日南町上石見の西村二代目の吉左衛門殿と分家らしい喜右衛門殿の名が刻んでありましたよね。 

 

 

 右の柱に刻んであるのが本命なのでしょうか。根雨の近藤家四代平右衛門吉得殿と梅林喜平治殿です。この左面に刻んであるのが「修理 近藤喜八郎」五代目です。

 まさか修理職ではなかろうが、資料が足りませぬ(汗)。

 

ところで・・鳥居の前の石灯籠は・・と言うと、その左には施主、日野郡大宮村 段塚廣右衛門廣慶 段塚直右衛門知守とあります。

 

さらに右側は施主 日野郡宮内村 入澤千賀蔵〇〇と。

 

 いやはやオール日南の様子でございます。ここまで出しゃばってくるには訳がありそうで、圓流院の吉島館長さまはタタラ用の炭を焼く山を求めてのことだろう と仰います。江戸末期ともなると日野郡には山の樹が枯渇してきたということですね。

 上石見の西村家はこの時二代目、その祖は詳らかならず、と言われていますが菩提寺は日南町印賀の普音寺。よく分からないが、折渡あたりではともいう。むかしこっぽり。