ブログじげ風呂復活版です。                  

2019年1月 高梁市成羽の広兼邸          

源流ではやっとまともな雪が降った。

   ☆ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー☆

やっとまともな雪が降ってくれました。

スキー場は大喜びですが、甚兵衛は井戸の水と田んぼの水がこれで安心と喜んでいます。

さて今日は広兼邸の謎でいきましょうか。

正面に一個だけの逆立ち獅子の鬼瓦。だれかの遊び心でしょうか(^^)

ちょっとした謎ですね。その下の縄で括られた物が何か分かりません。瓦の紋も以前と変わっているようですし、謎は深まるばかりです。 「昭和60年、広兼宮氏が岡山県に寄付されました」と言われていますが・・・ここでも宮氏の末裔が活躍していたのでしょうか?

せっかくですからもう少しお付き合いください。裏山の湧き水。

   <梁>

1810年にしては太い方でしょうか。

いろりの間からご主人の居間を眺めます。

 

主人の居間。 ↑

左 玄関の間、右 客間です。

水琴窟は縁側の外に。

水琴窟から邸宅の楼門を。

離れの座敷。

肝心の土蔵のお宝ものは壁の落書きがきれいに消えてからまた見物にまいりましょう。

今日はここまで・・・お付き合いありがとうございました。 

ブログじげ風呂復活版です。 

2019年1月 峠を越えて          

岡山県高梁市成羽まで             

   ☆ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー☆

突然の大雪になりました。ひざ上というところで降り続いています。

23日の ラリーが噓のような、土曜日です。

これで石垣半分は草に隠れているという大庄屋・広兼邸でございます。

   ちょっとしたお城です。作は享和、文化のころ(1801~1817)。
 
楼門を上がって眺める左の方。 広兼家二代目元治が鉱山とベンガラで財を
 
なしてかような山里に豪邸を築いたという話しです。
 

右手にお土産屋とベンガラcafe(今は休店)

せっかくですから続きます。 

ブログじげ風呂復活版です。                      

2021年1月 故園の情                                    

いつの日かまた元気で戻ってくるように

 

   ☆ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー☆

 

熟し柿もすっかり無くなって、おまけに庭の南天も失せてしまいました。

その上、玄関の飾りにしていました山帰来の実もいつの間にか消えてしまいました。

そろそろ春の支度をするころです。

南天の掛け軸を外して李白の漢詩に替えてみました。

 

<折楊柳の曲>

 

 

   誰家玉笛暗飛聲 散入春風満洛城

   此夜曲中聞折桺 何人芣起故園情  

 

 春風が満ち、別れの曲が流れてくる。

なんぴとか故園の情を起こさざらん。 

 

五十年ほどその昔、若い頃、洛陽の町を訪れたとき買い求めた一幅。

 

都会でそんな気分になってくれる人たちといつか必ず会える日が来ると信じて

今日もまた香典書留を送る今日このごろ。 

 

さて我が家では半分はルンバに任せて冬の片づけと掃除三昧でございます。

氷壺の金魚は一匹亡くなって三兄弟となりました。

 

 この頃のTVは余計つまりません。モーニングショーとかスクランブルとか、○○におまかせ、とかなど決して見ません。「剣客商売」にかぎります。

あとは水戸黄門さんがあれば十分でしょう。 

 

でわでわ。

ブログじげ風呂復活版です。

2019年1月 備後の浄久寺

久代宮氏の日南風土記縁起

 

   ☆ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー☆

浄久寺の境内から見下ろす眺めは格別、まるで山城の様です。

まずは左手。

正面は

「歴史の散歩道」6キロというものが整備されているようです。右手は

 山門に向かって左手にある駐車場から見上げる

左の建物は「圓通閣」観音堂です。

 

さて久代宮家11代の墓参りをいたします。

「初代利吉は室町時代初め応永6年(1399)大和国宇陀郡から備後国奴可郡久代に遠流されて土着したという」

 今回の旅は一門の物語「久代記」を探して・・・です。総領町の分館にも異本があるそうで、節分草の頃にまた訪ねてみたいものです。では。 

ブログじげ風呂復活版です。

2019年1月 備後の浄久寺へ 

久代宮氏の日南風土記縁起    

     ☆ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー☆

備後の国境、かっかけ峠を越えると道後山は早や庄原市西城町。

 あっという間の30分で備後の国です。最近甚兵衛庵近くで発掘された土器が塩町式土器の特徴が顕著だということから、伝わってきた道筋によけい興味がわいてきたこの頃、戦国の世の侍たちの侵入した道筋にも興味深々です。

 パチパチ野焼きの煙ののどかな山裾。

切株の中のビオラ?に傘が良く似合います。

ここは備後国西城の浄久寺

カヤの巨木が聳える宮久代家の菩提寺です。<菩提寺縁起>

 「久代宮氏七代高盛 が東城から西城大富山へ移城の翌年天文6年(1534)城南のこの地を選んで一宇を建立し、菩提寺とした。(久代記)」

山門 さすがに古めかしい。

本堂はまるで侍の館です。

 
 
 
 

今宵はここいらでよかろうばい。