長々とお付き合いいただきました大阪松竹座公演の模様も今回で最終回!
ポッと出来た余暇を使い、ブログに綴りながら思い出に浸ることができました。日常でありながら非日常であった出来事が終わり早いもので2週間。二葉さんから「あの浪曲はまさにチエちゃんでした!!!」と嬉しいメールをいただいたりしながらその都度感動して過ごしておりましたが、ここいらで気を引き締めてまた次の【楽しい浪曲】に向けて仕切り直してがんばろうと思っている次第です。
最後に何と言っても【沢村さくら】さんとの事を。
浪曲師と曲師、共に良い舞台を勤めるに大事なのは価値観の共有だと思い、お芝居などは極力一緒に観に行こうと思った黎明期。
はじめて共に松竹座に行ったのが2015年7月七月大歌舞伎「絵本合邦辻」という。
奇跡的に取れた2階センター最前列で観たその時、隣で目を輝かせて歌舞伎を観ている姿をながめ、「これから一緒に浪曲でまわるんだからいずれはここの舞台で独演会をするんだ!その時一緒に出てもらうんだ」と静かにたてた野望が当面の目標でもあったかと。
↑がんばったけど似てなかった。
それからというものの「浪曲は相三味線が居ないと一流ではない。そこまでの覚悟でさくらと廻れ」と
大師匠初代真山一郎との約束を胸に、共に勤める浪曲の日々。
がむしゃらに勤めてあれから10年
本当に悲喜交々いろんな事があった中で、沢村さくらさんの苦労は想像を絶するものだったと思っている。
「私、ラッキーガールやねん」と自分では言ってるが周りから観たらさほどラッキーでもなさそうな、九死に一生の人生←あ、それラッキーっていうのか。
隼人を弾くための犠牲数多。それでも共に勤めるんだと助けてくれたのは浪曲だけでなく生命危機に陥った硬膜外血腫問題というまさに公私ともの浪曲人生。
その都度、何か恩返し出来たら…。
と思った時に脳裏に浮かんだのは松竹座のことだった。
「いつも共に歌舞伎を観に来るここで浪曲やりたい、出てもらったら喜んでもらえるんじゃないかな。」
何ができるかわからないが、これを一つの目標に決めておこう
勝手ながらそう決めたものの
もっともっと遥か先の目標だと思っていたら思いの外現実は早かった。
昨年4月にこの公演が決定した時、喜びと共に心のうちでは「ああ、目標が叶ってよかった…」と安堵の気持ちが何より大きかったなと。
あの日から10年、、、
決して一筋縄ではいかなかった日々も、この1日で救われたような心持ちがしております。
今回一番嬉しかったのは無事に何ごともなく
「真山隼人×沢村さくら」でこの大舞台に立てた事だと思います。
それもこれも華の舞台の数々を死に物狂いで支えてくださった沢村さくらさんのおかげと今はただ感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました!
そして今回ご尽力いただきましたお客様、(株)松竹様、スタッフの皆様、またはるき悦巳先生はじめじゃりン子チエ関係者の皆様へあつく御礼申し上げます。
この1日を糧に、真山隼人沢村さくら共にまた楽しい浪曲ができるよう日々勤めてまいりますので何卒よろしくお願いいたします!!!







