※※※このブログは2021年4月〜6月の振り返りの妊娠記録になります。


※※※この先の話は、NIPT(出生前診断)や人工死産(中期中絶)等の話題を含み、非常にセンシティブなことを書いています。ご留意ください。また、不快に思われる方は閲覧をお控えくださるようお願いいたします。








画像はさみます↓










NIPT陽性判定→羊水検査までの間に

考えたこと、心に残った記事について

書きたいと思います。



NIPT(新型出生前診断)の情報を集める中で、

「命の選択」という、よく使われる言葉があって。

(「全米が泣いた」みたいな紋切り型の言葉)


つい使ってしまうのはわかるのですが、

でも、私はやはり好きになれません。。。

それは責められてるような、

うしろめたいような、

そんな気持ちを自分がもっているから、

というのもあると思います。


ただ、でも自分の中でうまくいえないけれど、

何かが少し違うなと感じていました。


私はおなかの子に

染色体異常があるからといって

即、命の選別をしているつもりはなく。

ましてや障害者差別をしてるつもりもなく。

かといって「違う」と断言できるほどの

思いや根拠もなかったので。。

モヤモヤ、モヤモヤ、

浮かんでは消え、消えては浮かぶ。

の繰り返しだったように思います。


そんな思いを抱えつつ。

でも、必死に私なりに羊水検査までの間、

調べたり考えたり、相談したりしてました。



そうした日々のなかで

読んだ一つの記事にはっとしました。


この記事です↓ 


この記事の北村邦夫さんという医師の

コメントにそうか、、、となって。


私は、染色体異常のある子を妊娠して、

その子をあきらめること

 =命の選別

 =障害者の差別になる

のかな、と悩み考え込んでしまっていましたが。

特殊な立場にあると思い込んでいましたが。


何も社会的なことや高尚なことを

考えなければいけないわけではなくて。

自分の人生、自分と夫との人生、

を考えればいいのかなと。


いま、日本では年間16万件の中絶が

行われている。

出生前診断による中絶であっても、

その一つなんだなと。

シンプルに思ったのです。


この記事を読んだことで。



つまり。


中絶には、悲しいけれど、

それぞれの女性に

それぞれの理由があると思います。


たとえば。


・若いから育てられない

(10代の妊娠とか)

・年をとって思いがけずに妊娠した

(40代で生理があがったと思ったら妊娠とか)

・片親で育てる自信がない

(別れそうな彼氏の子とか不倫とか)


そして、私は、


「片親で育てられないから中絶した」

という女性が、

片親で育った子を差別するだろうか。


「18歳で妊娠して中絶した」という女性が

18歳で産んで育てている人、

いわゆるヤンママの人とかを差別するだろうか。


と考えました。


18歳とか19歳で妊娠して生む人も

私の中学のときの同級生にはいました。


でも、私は大学受験中や

大学時代に妊娠していたら、

果たして産めたかというと、

はなはだ、自信がありません。

(高校時代は勉強ばかりで、そもそも、

そんな心配はみじんもなかったですが。。)


ただ、その10代でママになった子を

すごいなぁと思うことはあっても、

差別する気持ちはありませんでした。

(成人式に子ども連れてきていて、

もうママなのか!と驚いた覚えが)


また、私は進学校に通っていたのですが、

同級生が、受験時期や大学に入ってすぐ、

妊娠してしまって産むのを迷っていたら、

将来のことを考えてあきらめるのも選択肢だよ、

とアドバイスしていたかもしれません。


親の反対や恋人の意見や、

自分の将来設計を考えて

産むのをあきらめたとしても、

それはそれで、

その人にとって悲しいけれど、

しかたのない選択だったのかな、

と思うだけです。

その選択を批難することもないでしょう。




妊娠したときにパートナーと

理由があって別れていて。

親がそろってないとかわいそう、とか

育てる自信がない、とかと考え

あきらめる人もいます。


一方で、一人でも育ててみせる、

片親でもしっかり育てていこう、

と産んで育てている人もいます。


でも、「一人でも産む」「一人では産めない」を

その女性が決断することと

片親で育った子を差別すること、は

また別の問題だと思ったのです。


自分自身は「片親の子」に対して、

そんなに差別感情はなくとも、

でも、だからといって、

自分が「片親の子」の親になれるかどうか、

実際にその立場になったら、

はるかに違う次元すぎて、

いろいろ悩み、考え込んで、

やはり育てられない、と

なってしまうこともあるように思います。


ただ、片親の子も

時代や場所によっても変化があって。

私が小学生の頃、

都会ではなく地方だったのもあってか、

片親は、あまりおおっぴらに話せない、

恥ずかしいこと、のように

大人たちは語っていました。


でも、私の同世代になると、

離婚もシングルマザーも増え、

一人で育てる女性も多く、

片親だと聞いても

あ、そうなのね、くらいなのかなと思います。


さらに下の世代だと、

むしろ、親が、

「夫がイヤなら帰ってきなさい、

私達が一緒に育ててあげるから」

みたいなことも珍しくないのかな、なんて。




話を戻して自分のこと。


障害のある子を、

私は私の考えた結果として

選ばないけれど。。

選ぶ人ももちろんいて。

その人たちを差別する気持ちはない。

障害者を差別する気持ちもない。


そして、障害のある子を産んでも、

ああ、そうなのね、くらいの感覚になる、

そんな世の中になることを期待してもいて。


私は染色体異常の子(障害のある子)を

中絶するとしても、それは、

障害のある子を差別するわけではないし。

産めるかどうかを考えて、

育てるシミュレーションもしてみて、

それでも難しい、となったら。


自分で必死に考えて

悩んだうえで出した決断なのだなと。


先ほどの記事を読んで思ったのです。





そしていま、こうして

ブログにまとめようとして思うことは。


NIPT(新型出生前診断)が

「障害者差別につながる」とか、

「命の選択」とかいう話は、

制度をつくる側の人たち

(政治家とか国家公務員とか産科医のえらい人とか)は、

丁寧にしっかり考える必要があるだろうけど、

それを一人ひとりの妊婦に問うのは、

重いな、と感じています。


染色体異常のある障害児を育てることは、

やはり健常児より時間もお金の負担も

かかるのが今の日本の現状で。

障害が重ければ重いほどそれはそうで。

そういう現状を変えずして、

妊娠したからには産むべき、

というのは妊婦一人の判断には重いのかなと。


命は確かに重いです。

けど、普通の妊娠した女性に、

その重さだけをつきつけたとて、

社会の問題解決になるのかなと。

その人が、いろんな状況を知って、

シンプルに自分は産めるか、育てられるか、

産みたいか、育てたいか、を

考えられればいいのかなと。


短い時間ではあるけれど、

育てる、あきらめる、の

どちらを選ぶにせよ、

選んだならこういう展開がある、

という情報がもう少したやすく手に入れられて、

アドバイスやカウンセリングも受けられて、

その上で選べる態勢になったらいいのに、

と強く思いました。


そうでないと、妊娠出産を避ける女性が

増えていかないかなあとも。

(保育園を充実させてないのに、

もっと産め、みたいな政治のような)


かといって、胎児の異常を知らなければいい、

という時代には、もう戻れないと思います。

(一昔前のガンは、

本人告知はしないのが鉄則だったのに、

いまや本人に告知し、

自分で治療を選ぶのが当たり前になりました)


いま、認可のNIPTは

3つのトリソミーだけ(13.18.21)を検査しますが、

技術はどんどん進化しています。

全ゲノム検査をもっと

早く、安くできるようになると、

複雑な問題も起きたり、

迷う場面も多くなるだろうなと。

そんなふうにも思いました。


なんだか、心に残った記事について、

書こうとしたのですが、

うまく伝わるように書けずに、

まとまりきらないみたいですみません。。

あと、表現が下手で、

傷つける書き方や大きな誤解が

あったらすみません。。



あと、心に残った記事といえば、

ドラマ「コウノドリ」の

医師の発言にも、救われました。


そのセリフのあるドラマレポの

記事を貼っておきます↓

 


ドラマを見たい人は、

↓を見てみてください。

 

 



最後に。


あきらめると決めたときも

中絶したあとも、夫とは、


「私たちのこれからの人生は

小さな命の犠牲の上にある、

ということは、せめてお互い

忘れないようにしよう」


と話しました。



 

  

 

ときめきが続く、お花の定期便bloomee(ブルーミー)