恋人に出会うようにやってきました。
城下町 萩に

いつものように幕末の志士たちが迎えてくれました。
ようこそおいでました山形有朋 木戸孝允 伊藤博文
よう来てくれたね。まっちょったよ。前回は大雨で大変じゃったね

今日はいいお天気で気温も高いちゃね(^∇^)
ゆっくり見て行ってね。では、帰りにまた会おうぜよwww
なーして、龍馬がでるんかっちゃー( ̄_ ̄ i)
と言う事で、3人さんに見送られて萩の町に入って行ったのです

維新ロード目指して行きました。
松陰先生のお家から、萩の町が一望できるのです
ここですよー、みなさーん
城下が見えます
松陰先生はここから歩いて明倫館まで兵学を教えに行ったんですね
お天気がよく、いちょうの木の間からこぼれる光が綺麗でした

黄色く色ずくのはいつかしら
ではでは、これからあの指月山の麓に広がる城下町向けて
出発で~~~す

萩博物館に車を止めて 堀内を歩きます

なにやら綺麗な車を発見しました。
アメリカREO社製萩博物館にある消防自動車
日本でこれ一台!!だそうです!!
なになに、1931年頃アメリカREO社が製造した車に
国産ポンプを組みこんで作った 超レアな消防自動車ですと

すごいね~~~\(゜□゜)/
とんびの鳴き声が聞こえます。
ゆっくりとした時間が流れます………

ボチボチ歩きましょうか?
待って下さ~い
萩焼のお店発見 こんなお店があちらこちらにあります。掘り出し物も沢山出ていましたよww
帰りにまた寄りますね

北の総門遠くに指月山が見えます。
江戸時代、三の丸と城下を結ぶ城門は中の総門、平安古の総門
北の総門とあり、この北の総門は日本で最大級の高麗門です

門をくぐって右
左
と曲がるといやーーー素晴らしい

まっすぐなんです萩36万石の歴史の表舞台
家老や寄組等の重臣の屋敷が並んでいます
旧周布家長屋門ちょっと、お宅拝見

木戸をくぐって入ってみました。し~~んと静まり返った屋敷の中庭に立つと
昔の人の声が聞こえてくるようで………
ここに住みたい!!本気で思ったんです(≡^∇^≡)
堀内全体がこんな感じです
え~~と

この辺りを浜の町といい耳を澄ますと時折右手の方から波の音が聞こえてきます。
聞えるよ^^波の音

少し歩いて立ち止り、ふり返ってはまた立ち止る

しっかりとこの目に焼き付けておきたかったんです。きれい!ほんと、きれい!!
沢山の学生に出会いました。
おー
ここは中学校!!
頼もう
頼もう
この門から、羽織、袴姿の武士たちがぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ


残念!!時は平成23年、自転車に乗った淑女たちが一斉に風の如く過ぎて行きました。
しかし、これ 中学校だったんです。
いいな~~、歴史のある中学校で勉強が出来るなんてね

アパートの名前も明倫舎一般の方のお家も立派です

こんな感じ! 素敵でしょう(^∇^)城下に住んでいる多くの方たちの協力があるからこそ
こんなに素敵な町が残っているのですよね

この先に、家老に次ぐ重臣である寄組の口羽家住宅があります。
この庭から望む橋本川と、その川中にある松の老樹に囲まれた
常盤島の眺めがすんばらしい~~のです
ほんと!!
あれが老樹かぁ~^^おお~~萩八景遊覧船の登場です

乗りたいなぁ~~萩には何度も来てるのですが、堀内を歩くのは初めてなんです。
休日なのにこの辺りは人も少なく、時折鳴くとんびの声と波の音に
すっかり心癒されました

口羽家を後に 鍵曲(かいまがり)と言う城下町特有の
鍵形に曲がる道へとご案内しましょう(^O^)
ついて来て

鍵曲とは城下に侵入した敵を迷わせ、追い詰めるための工夫がしてある
城下町特有のもので、左右を高い土塀で囲み、道を鍵の手に曲げて
迷路のようにしてある道のことなんですね。
簡単にはお城までたどり着けませんぞ~~

どうだ
この曲がり具合
この写真、いまいちだねww歩く歩く 地図を片手に探しましょう
ここは?
旧明倫館跡後に城下中央の江向(現在の明倫小学校の地)に嘉永2年(1849)
に移されるまで、130年にわたり萩藩の最高学府の地でした。
現在は、石碑のみ残っています

秋だなぁ~歩くうちにこんな可愛いお花も見つけました

一瞬、夏のような感覚に~~白壁の間から顔を出すピンクのお花
松陰先生がもしかしたら好きだったかもしれない

高須 久子さんに送りたいなぁー

きっと喜んでくれるはず………

ぐるぐる回っているうちに城下町に出てきました。
ここは菊屋横町、真っすぐ降りて行くと、左側に高杉晋作誕生地があります。
この道を晋作が歩いたのだと思うと何だか胸が
キュン
とするのです。晋作は子供のころから肝っ玉が太かったそうです。
こんな話が残っています。
少年時代、正月に凧あげをして遊んでいたところ、通りがかりの武士が
うっかりその凧をふんでこわしてしまった。武士が、軽く謝ってその場を去ろうとすると、
烈火のごとく怒って武士の羽織に泥を投げつけようとした。
その羽織は、藩主からの拝領品で汚したとなると切腹は免れない。
武士が晋作に土下座して、ようやくその場が治まったそうです。
う~~~ん

どんなんなん
ありましたよ。晋作さんのお家(●´ω`●)ゞ
今日は開いてるのかな?
確か、一般の方が管理をしているので開いてない事が多いと聞きましたが……
良かった!!開いてる!!
高杉晋作誕生地名は春風、字は暢夫 晋作は通称です

天保10年(1839)8月20日 ここ萩城下菊屋横町で生まれました。
産湯を汲んだ井戸はですね~、こちらです

当時のままですよ。何だか、ワクワクしてきました。
「これよりは長州男児の腕前お目にかけ申すべし」
な~~~んて言いながら産まれてきたのかしらん

興味深い品物が!!龍馬に送ったピストルも

光が反射してみえない!!やはり、晋作と龍馬は切っても切れない縁なんですね(≡^∇^≡)
縁側に腰をおろして、少しの間、晋作さんと話をしましたww
縁側から見える景色
ようきたね。
は、はい。 どうしても会いたくて、晋作さんに❤
ぼくには、妻がおるけど ええんかね?
は、はい。 ええそ、妻がおっても……
なら、離さんけーね。
ありがとう。 ず~っと一緒におるっちゃ!!みたいな~~~(*^.^*) 妄想をしてしまいました。
おっ!飛行機雲玄関横にはこんな石碑がありました。
文久3年(1863)3月16日
頭をそって東行と号した時京都にて詠んだ歌
西へ行く人をしたひて東行く
心の底そ神や知るらむ
「西行を慕って頭を丸めたけれども自分の心は逆に東に行くのだ。
その心は神だけが知っているだろう」
やはりそうですか


よーく分かりました。「神のみぞ知る」 ちゅうーことですね。
やはり、晋作と龍馬は切っても切れない仲なのです

まだまだ続きますが今回はここまで
最後まで読んでくれてありがとう
そら
でした