もう、何年も前から、会いたいと思っていた弟の一人に、ついに会いに行ってきました。
同じ県内とはいえ、こちらは、瀬戸内海側、あちらは日本海側。滅多に、会えません。

しかも、話を聞いて分かったのですが、私たちを産んでくれた母が、弟たちが産まれてすぐに亡くなり、一人養子に出されたのですが、一人前になるまで事情を聞かされていなかったとのこと。

同じ豊岡市に住む、私たちの叔父でさえ、長い間、事情は知っているのに、他人のふりをしていたということでした。

何度も顔を合わせても、親しげに話しかけることが出来ず、叔父の心情ももどかしかったことと思います。

最近、疲れを頻繁に訴えるようになった夫も、ついてきてくれるので、一番乗り継ぎが少ない「こうのとり」で出掛けました。

阪神間を抜けると、田植えが終わった田んぼが続きます。

城崎温泉に一泊して、翌日の土曜日に二組の夫婦で、会いました。

もちろん、この日のために用意した家系図と、俳諧連歌のコピーも持参しました。

須磨のひねもす連句会で、ご指導下さっている梅田光明先生が解読して下さったものもつけてあります。

「腰蓑も小笠もかろき産業(なりわい)に」の後、どうしても読めなかった短句を、
「亀にかちたるいせの代参」(月居)と読まれたのには、感動。亀のところ、口縄だとばかり思っていたものですから。確かに、この頃は、伊勢参りの代参も、立派な商売?だったかも知れません。亀よりは早いけど、ゆっくりのんびり頼まれた旅を楽しんでいたことでしょうね。

幼い頃に、双子だった弟たちは、須磨のロープウェイで、山上に上り、二人だけで出会わされていたのですが、本人たちには、詳しい事情は告げられず、何のためにそこに行ったのかも分からず、ぼんやりとした記憶だけ残っていたそうです。

私たちの父親が、一番下の息子が、元気な様子を見たくて、つれてきて貰ったのかも知れませんね。父の日にそんなことを思うのも、不思議な気がします。

城崎で泊まった前の晩は、あまり眠れず、しかし、朝御飯はおいしく頂き、(苦手な湯豆腐さえ食べてしまいました)60年以上会えなかった人と話ができました。

今回、一人が国外にいて、出会えなかった弟同士は、機会があれば会うかも知れません。

私が間に入らなくても、待ち合わせの場所で同じ顔をした人を探せば、すぐそれと分かるはずですものね。それまで、二人には達者でいて欲しいものです。