終戦記念日81年経ちました。
私は戦争を知らずに平和な日本を生きてきました。
私が物心つく十数年前にたくさんの若者たちが生きたかった未来を閉じなければならなかった。
日本は私の知っている日本ではなく、台湾、朝鮮、満州をも支配している大日本帝国だったのです。
日本自体も軍部に支配されていました。
昭和天皇も軍部の暴走を止めませんでした。
外国語も禁じられ、外国の優れた文化を学ぶこともできなかったのです。
今、甲子園で熱戦が繰り広げられていますが、野球用語も英語は禁じられていました。
因みに、
プレイボール = 始め、
ストライク = 正球、
ボール = 悪球、
アウト = 無為、
セーフ = 安全、
ヒット = 正打、
ファールボール = 圏外、
バント = 軽打、
盗塁(スチール) = 奪塁、
ベンチ = 控え所などです。
それはそれでいいんでないって思うけど、威張りくさる軍人に強制されるのは勘弁してくれよっだわな。
それで、みなさんには怒られるかもだが、私は戦争に負けて良かったと思ってる。
あのまま軍部が支配する日本だったら自由を愛する自分は即座に非国民として憲兵に引っぱられ、拷問を受けて命を落としていたに違いないもんな。
くわばらくわばら。
ここんとこ、大好きな猫が傷ついて亡くなったり、
子猫をひき殺したり、
自損事故を起こしたり、
な~んか不安な日々だった。
そんな中、私は心ここに有らずの生活を続けていたわけ。
それは7月のある日、ゴルフ場で第二打を打とうとしていた時、スマホの電話が鳴った。
なんだっぺって電話をとると、診療所の看護師からで、「大変です。腫瘍マーカーが高いんです!」って。
何?実はその前の週に血液検査をしていたんだわ。
同級生や、ゴルフ仲間がガン患者ばかりなんで一応チェックしとこかなってね。
そしたら、出ちゃったんです。
参ったな、と思いながらもゴルフを続け、来るべき闘病生活と残された日々に終活を加速せねばならないことに思いを馳せていました。
その後1か月、全身造影CT、上部内視鏡、下部内視鏡、PETなどの精密検査に通ったのです。
そして今日、病院受診。ドキドキ。
私の番号31番が呼ばれて診察室のドアを開けるやいなや、私の体がまだ部屋に入っていないのに、先生が大声で「どこにも腫瘍はないですね!」だと。
まぁな。私の家系には親戚も含めてだ~れもガン患者がいないのよ。
ま、祝福されてる家系だかんな。
私も最初からそんなはずねぇって思っていたけんど。
うわっはっは。
それでは何で腫瘍マーカーが暴上がりしたのか?
これは謎じゃ。
世の中には不思議なことがあるもんよ。
そこで私をよく知ってるある方が、「おめぇさん、あれじゃね?」ってのよ。
ネットで調べたら、あれだと腫瘍マーカーが上がることがあるらしい。
ほぇ~
そ、かも。
取り敢えず先生は3か月後に再検査してみっぺって言われました。
あんまり気分がいいんで、近くのショッピングモールに行って、大量に無駄遣いして、昼はマックのドライブスルーでサムライマックのたまごベーコン肉厚バーガーにコーラで職場に向かい、スタッフと言葉を交わしてから、
ゴルフの打ちっ放しで飛ばないスイングに呆れた後、
この間のゴルフで帽子を無くした方のためにゴルフ場に探しに行ったけど結局なくて、
あばら家に帰って来てまたスタッフとお喋りしたという終戦記念日になりました。
平和っていいよね。
しみじみ思ったのでした。