祈り | このままじゃ嫌だ!自分の可能性を信じたい人のための、可能性を現実のものとするブログ

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『このままじゃ嫌だ!』これは夢も希望も見えない中にいた昔の僕の叫びです。あの時に思っていたのは、このまま普通に人生が終わっていくことへの恐怖でした。
このブログは、自分自身の人生を後悔なく使い切りたい人が、自由と幸せと豊かさを手に入れるためのブログです。

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フェイスブックをされてない方は知らないかもしれませんがフランスでのテロ事件を機に、フェイスブックではちょっとした




が起きています。



こうことでも探究してしまう性分なのか、感じたことを徒然と書いてみました。



僕的にはこの『トリコロール写真』事件は、何かの件で世界中で炎上した時ぐらい広告力があったという意味だけでも、フェイスブックがやった意味があると思う。すごい影響力を作ったなーと。
わからないけど考える人が考えたらもっとやりようや影響力をもてたことができたのかもしれないですが。




僕みたいに世界状勢に対してにわかでなんちゃってでも、この件のお陰でフランス以外の国のことも知れたしね。



僕のね、想いの部分はめっちゃシンプルなんですよ。
めーーっちゃ雑に、簡単にいうと、



『みんなが幸せになったらいいなー。』



ただそれだけ。



仕事もそう思って、やって生きてる。




でも、そこに対しても自己犠牲的なことまでしてとは思いきれずにやってない。
順番としては自分や自分の周囲の近くにいてくれる(近づいてくれた)人からから外側に向かって、近い順。
自分や家族を大事にして、クライアントさんを大事にして、ちょっと知ってる人、全然知らない人の順番。




もしかしたら自分が生きてる間に間に合わないかもしれないけど、人生のすべてを何もかも投げ捨てて世界平和に捧げれるほど高尚でもないし、自分の周りから自分が満たされなくならない範囲で(満たしつつ)、平和に対して出来ることがやれたらと思う。ミスチルのHEROの歌詞のように。



その中の1つがクライアントさんに結果を出してもらい、魂が喜ぶ生き方をしてもらうサポートでもあります。だってそんな人がある程度増えたら平和になるイメージは出来る。



ただ、今回のことでより意図して生きようと思うし、より祈りと共にしっかり生きようと思えた。
自分の中で『祈り』とは特別。
よく考えると小さい頃からよくわからず祈ってきたし、それ以外にもね。




僕はきっとサッカー日本代表戦だけのサポーターのような存在です。サッカーは草サッカーを昔1年ほどちょーうまいバイトの先輩達に誘ってもらえてやってたぐらいのにわかです。



でも、試合見れない時もあるけど日本代表が試合するって聴いたら応援します。
そんな僕がJリーグのサッカー全試合スタジアムに駆けつけるような本気のサポーターになるか(なれるか?)はわからないですが、少しでもサッカーに触れれたらと思うし、サッカーを楽しまれる方の気持ちを応援したいとも思います。



で、例えばですが、
たまたま日本代表戦のチケットが手に入って、試合応援に行ったら入り口で日の丸の国旗が配られててそうか!これで応援するんか!と国旗を振ってたら、本気のサポーターさんに、それは相手国へのすんごい挑発行為で、『代表戦に来るならそれぐらいのこと勉強してから来い!』と後で怒られたら、どんな感じがするやろうかと想像した。




次の機会(もう一回)があったとして、大まかに


・怒られたことを機に、応援の仕方を学ばずに代表戦に行ける人


・応援の仕方を学んで、知ってからスタジアムに行く人


・もう2度とスタジアムに行けなく(行かなく)なる人


 
とが出てくるんじゃないかなー?



学んで次に!って思える人は、もともとサッカーにめっちゃ興味があって、なおかつサポーターの存在価値を信じていたりする人なら日本代表のため、ひいては日本サッカーや世界サッカーの隆盛のために、自己成長して(学んで)応援に行くと思います。



でも、にわかで、こんな自分でも応援してもいいんですか?あんなプロの選手に僕たちの応援って意味あるんですか?って思ってる人ほど、次に行かなく(行けなく)なると思うんですよね。



それってサッカー会全体にとって、ファンが増えなくて、減るんじゃない?



『日本代表戦の日の丸応援事件』的な事件化してまるで悪者のように、


『にわかファンの野郎ども気分悪いぜー』
『なんかモヤモヤするぜー。』


って空気になったら、見込みファン潰してしまうんじゃないかなー。 



今回のフェイスブックトリコロール写真も、もしこうなったら残念だなーと感じるのは、今回のことで気軽に?というか、自分の中の誰かへの優しい気持ち(人に労ったり、応援したりというアクションなどま)に圧がかかってしまうこと。



もちろん、様々な角度に配慮したり検討してから行動するのは大切だと思いますが、



1度も募金したことない人が募金したらたまたま悪徳募金活動やって、何してんの!って家族とかに怒られてもう2度と募金しないぜーと思っちゃうこと。



僕は仕事柄なのか、そういうのは学びの機会であり、前進と捉える。学びの機会やったわけやから。



もちろん次に必ずうまくやれる保証はないけどさ。今回のことってさ、今まで平和とか命とかさ、自分から遠い誰かの為に何もしなかった人がもし1人でもいたらさ一歩前進じゃない?



機能しにくいことを学べたのなら、1歩進んで3歩下がったとしても、1歩には価値があると感じるし、下がり続けてるならそれは学びきれてない可能性もあるけど。





まっ、僕の書いてる事が正しいという訳ではなく、個人的には今回のことを



いろんな角度や意見があることを知る広告的な影響力しかり、
ちょっとチャレンジしてみようかと思う人を作ったことしかり、


自分を感じたり知れたり、ブログネタになってくれたりした価値はありました。




実験には価値がある。
これは本当に思う。
(もちろん、極論からいくといろんな角度があるので世界中の人達にとっての絶対ではなく、僕の心の内の範囲内での話)


でも、今回のフェイスブックトリコロール写真の件は、個人的にいくつかの実験の元やれたので良かったし後悔も今の所してないし、フェイスブックの設定時に出てきたお試し1週間はやってみるつもり。


世界平和については、ミスチルのHEROのような感じかもしれないけど、自分に出来る事をしっかりやって貢献したいと思う。たまに何かのきっかけで普通じゃないこともやるかもしれないけど、それは僕の自分の中での問題に折り合いがついてのこと。



至らない事はあるかもしれないけどさ、名もなき勇者達も一緒に作った変化の名もなき勇者の端っこにいれるぐらいではいるつもりかな。



なので、ガンジーさんや、マザーテレサさんのように今すぐは無理でも、一緒に名もなき勇者の端っこに属して世界平和を祈りながら自分と自分の周囲の人達『から』を幸せにしませんか?とペイフォワード的なことを投げかけるという貢献で締めたいと思います。
(決して『だけ』じゃなく、『から』少しずつね』)