僕はよく
ネガティブな感情も、
ポジティブな感情も、
「あるもんはある。
だからしゃーない。
だから認めてまずは受け入れよう。
でしっかりと受け入れて感じ切ることができたなら、フラットに戻るから、フラットな状態に戻してから、その後に次を考えていきましょう。」
とクライアントさんに、常々言っています。
「あるもの」を「なきもの」にしようとすればするほど
余計に際立ちます。
例えば、今からある動物を言いますから、
絶対に想像しないで下さいね。
しないでね。。
絶対ですよ。。
絶対ね。。
『全身ピンクのウサギ』
絶対に想像しないで下さいね。
『全身ピンクのウサギ』
しないでね。。
絶対ですよ。。
絶対。。
○
すいません。しつこかったですか?

とまぁ~、こんな感じなわけです。
【しないでね】ってなきものにしようとしたら、
余計に際立つでしょ?
かく言う僕は、昔っからよく自分の感情に蓋をして生きてきました。
つまり、
【自分に存在した感情】を、ないものにしようとしていたのです。
楽しくないのに、空気を読んで、「笑う」とか、
そこまで好きでもないのに、無理して、むちゃくちゃにお酒を浴びるように飲んだりすることもしてました。
欲しくもないのに、そっちの方が受けが良さそうだから、買ってみたり、
自分が好きなことでも、バカにされそうだから、隠しておくなんてこともです。
そんなことを小さい頃から続けて来た僕は、
昔、10円禿げ(円形脱毛症)が出来たことがあります。
感情を蓋していた頃の自分は、上辺ばかりで薄い人間でした。
もちろん自分には
『そんな自覚なんてなく、』
『それは至極当たり前のことですから、』
『自分が無意識でやっていることに違和感なんて感じたことがなかったわけです。』
こういう業界にいるせいかもしれませんが、良くいろんなところで、
『自分を(気持ち)大事にしましょう~。』
『自分に優しくしましょう~。』
『自分を愛してあげましょう~。』
なんて、という言葉を耳にします。
僕もよく使う言葉です。
ですが、使うタイミングや届ける相手によっては、大変なことになります。
僕ほどうまく自分の気持ちをごまかしていた人間には、
本当の気持ちすらごまかしている自覚なんてないほどに
本当の自分の気持ちを偽りますし、偽れます。
そして、偽っている方が、今までの自分の人間関係の創り方や、仕事や現実面での成果や結果の出せるノウハウを持っているので、なかなか気づきたくないのです。
なぜなら、僕は、自分を押し殺すことで、
一見、適切な行動を取っているように見せることはできました。誰かに評価されることも出来ました。褒められ、認められ、時に愛される。
それは、親、近所のおばちゃん、友達、恋人、先輩、後輩、、、、
ありとあらゆる人達です。
しかし当然、皆さん悪気はありませんし、悪くもありません。
偶然にもそういう自分を誰かが評価してくれて、そういうすることが正しいと思い、続けていくうちにそれが自分だと思い、僕すらもそれが偽りの自分とは気づかずに、それが本当の自分だと思っていたから。
その自分で、結果を出すことが正しいことと思っていたから。
僕を含めて、実際に感情に蓋をするやり方で頭を打っている人を沢山見てきました。
感情的になること(感情に振り回される)で、確かに適切な判断や行動が行えなくなることがあります。
しかし、感情に蓋をすれば適切な行動が取れるのでしょうか?
もし取れたとしても、それは何にとって、誰にとっての適切な判断であり、行動だったのでしょうか?
心理の勉強を始め、自分と向き合っていたある時、
偽ったり、蓋をしている自分に気がつきました。
しかし、それはその時には手がつけられないないほどの気持ちに膨れ上がっていました。
悪気はなかったとはいえ、
偽りの自分で築きあげた、
関係性、
キャリア、
評価、
承認、
本当の自分を出すと、今まで積み上げてきたものが壊れるような、無くなるような気がして、怖くて怖くてたまりませんでした。
(今でも怖い時が沢山あります。)
だから、たくさんの勉強をし、セミナーを受け、トレーニングをし、より成長しなければいけないと頑張りました。
蓋をしたまま、蓋の中のだけを消そうとする、
自分に都合のいい魔法を手に入れようと試みたのです。
つまり、「変わらないまま、変わることができる魔法」とでもいいましょうか?
結果、残念ながら、そんな魔法はないことに気がつけました。
必要だったのは、
しっかりと自分と向き合い、自分の中にあるものを整理し(気づき)、あるものとないものを見極め、その上で変化が必要な部分を変えていき、変えてはいけないものを大事にする。
そんなことだったのです。
それに気づいた時、本当の意味で昔メンターに教えてもらった【ある祈り】と自分の気づきがリンクしました。
長くなりましたし、ステキな祈りなのでそれをぜひ紹介して終わりますね。
○
アメリカの神学者、倫理学者ラインホールド・ニーバーさんという方の祈りです。
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O God, give us
serenity to accept what cannot be changed,
courage to change what should be changed,
and wisdom to distinguish the one from the other.
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神よ、
変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを。
変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。
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こちらのサイトに詳しくのってます。