僕のお茶会ってどんな感じなのか?
興味ある人は一度、Kさんの感想を読んでみて下さいね~

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久々に参加した元気さんのお茶会。
やっぱいいわーーー!!
行ってよかったぁーー!!
自分で自分のことって、ほんとよく分かってないんだなぁ。
「無くて七癖」っていうけど、
自分がどんな癖を持っているのかとか、
それをどんな時に発動しているのかとか、
その癖の程度とか、
そもそも癖に氣がついたら都合が悪いと思っている今の自分が、そこから巧妙に目を背けていたりとか、
その癖があることでどういうことを起こしていたりするのかとか、
どういう効果
(それによって今の自分が得ること、得ないことみたいな)があるのかとか。
自分でもいつか氣がついたり変わることもあるだろうし、氣がつかないこともあるかもしれない。
えっ?私いつもそんなことしてる?
あ、それあるかも。
今、私そんなことしてた?
そんな風に感じてたんだ??
元気さんや参加者の皆さんと話をしていく中で、
自分が見ないふり氣づかないふりしてきた色んなことを知ったり、氣づいたり。
なんて、書いていても話の部分部分、
自分が聴きたくない部分を華麗に(あ、表現よすぎた?)巧みに
スルーしてたり、
誤魔化していたり、
感じないように考えないようにしていたりするようなので、
今回、会話の中で「あ、スルーした」
って言ってくださっていたのですが、
本当に自分では全っ然そのことが分からない。
ぅえっ??
えっ何スルーした?分かった氣になってたのに。えっ?
みたいなシーンの連続でした。
その指摘を信じるなら(私は信じてるというか信頼してます)、自分の氣づかなさ加減というか、鈍くしてる度合い、閉じてる度合いがすごい。驚き。
最後に質問しないまま帰ろうかなーと思っていたことをふっと質問して、
感じるということが如何に自分にとって、
そして○○氏(旦那さん)との関係性においても、
いかに重要であるかが分かりました。
少しは分かった感じがする、
っていうほうが実際の自分の状態には近いのかな。
色々、知らない自分にびっくりな1日になりました!
元気さん、ご一緒した皆さま、本当にありがとうございます!
よいお年をです!!
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ここまで。
お茶会だと、自分だけではなく
他の参加者の方からフィードバック(その人にはこう見える)が
もらえたりするので、本当の意味での客観視(他人の主観)ができたりします。
自分では身長150cm()ぐらいで背が低いと思っている人(Aさん)が、実は身長200cmの人で、
他人(Bさん)から見ても確かに
『大きい』、『2メートルぐらいありそう』。。。
という印象を持たれている場合に、
Aさんが、『自分は背が低い』
という感覚で生活しているとどうなると思いますか?
Bさんが、
『あなたの身長何センチ?』
と質問したとします。
すると明らかに2メートルぐらいありそうなのに、
Aさんは、
『150cm』
と答える。
Bさんはおかしいと思いながらも、
150cmサイズの服を買ってプレゼントをすると、
いざ袋を開けて、服を着ようとした瞬間に、
着る事ができないことが発覚します。
もしくは、BさんはAさんに対して、
「本当の身長言いたくないのかな?」
「嫌われているのかな?」
「距離を取りたいのかな?」
など、変な受け取り方をされて、相手に勘違いを起こす事だってありえるわけです。
他にも、AさんとBさんがしゃべっている時に、
ついAさんが怒ってしまった場合、
Aさんは自分では普通に怒っていたとしても、
200cmの人の怒りですよ?
Bさんは、Aさんが思っている以上の
(150cmの人が怒ってる以上の)
恐怖感を感じるかもしれませんよね。
背が大きいことが問題なわけではなく、
何かと自分の感覚がずれていることに気づけない(自覚がない)お陰で、適切な対応が取れたつもりでもさじ加減を間違ったりして、
自覚なくやってる行動が意図しない何かを生む場合が大いに起きうることがもったいないのです。
自分の感覚を感じにくくなっていると、
(感度が鈍っていると)
そういう意味でも、
生きにくさが生まれるかもしれないですね。
今回のKさんはそこに気づかれたみたいで、
僕自身もやれてよかったな~と感じました。
にしても、、、
僕自身ではなく、参加して下さった方の視点は
やっぱり有り難いですよね~。
普段の自分のやっていることや
その場で生み出されていることを
振り返ることもできますしね。
これからも参加して下さった方に少しでも、
人生を奥底の自分が望んでいる状態に
近づけてもらえるようなサポートを
していければと思っています。
今回はKさん感想をありがとうございました
