人は頑張りたいことを頑張るようになっている。
なぜなら、本当に頑張らないといけないことは
抵抗があるので、
自分の頑張り易い
(頑張っている気がする)
ところを頑張ろうとすることで、
本質的な取り組みを避けている。
(見ないようにしている)
そんな時、言ったり言われたりする。
「頑張り方がズレている。」
と。
例えるなら、
おいしい料理を作れるようになりたい!とする。
そのためにまずはおいしい料理の味を知らねば!と
おいしいレストランの食べ歩きをずっとしている状態。
本人は頑張っていると思っている。
だっておいしいレストランの場所と
おいしいと感じた体験は増えているからね。
自分はこんなにもおいしいお店を探しているんだ~!と。
でも、おいしい料理を作れるようになりたいなら、
おいおい、もっとやらないといけないことがあるのでは?
と誰でも気づく。
本来は、最初においしい店で舌を鍛えることが必要だとしても、
ある程度を超えたあ時点で他のことはせずに、
味覚の鍛錬だけやっているなら注意が必要なのだ。
この頑張り方ズレてないか?と。
「人のことは客観視できても、案外自分のことはわかっていない人がいる。」
ちゅーかほとんど。
だからこそ、自分を客観視する(してくれる)
環境というものはありがたい。
そして、そこに素直になれるかは自分次第。
そして、数日前にそんなことを言われたのは、
まぎれもなく、ここにいる、この僕です。
「頑張り方がズレてんねん」と(爆)