小さい頃から自分の好きな物は最近までブレる事はありませんでした。ハリウッド映画から洋楽、絵を描くこと、服、靴、ダンスなど。以前のブログでも書きましたが、JAPANエンターテイメントなど目もくれず、むしろ嫌いでした。しかし、これでは同期の友達との交流に支障をきたすと言うことから、情報を入れるだけ入れて、後は話を上手く合わせるという手法を長年とっていました。その行為は、勉強と同じで心から好きな情報ではないので非常に苦しかったです。

お兄様がやっていた楽器演奏は、申し訳無いのですが、1㎜も興味を示さないままにお兄様の巣立ちを見送ってしまう始末でした。(コード進行的な音の構成は小学生が寝る時間に毎晩脳内に刷り込まれたので、その後バンドやってる友人との交流に役立ちました)
おかげさまで、一体自分は何が好きで何がしたいのか、素直にこれが好きです、興味がありますと胸を張って言えるものが皆無でした。

しかし、美短に入学し音楽活動に触れてからというもの、楽器の楽しさを心底感じました。僕は思ったのです。お兄様がいるときに、なぜ楽器に興味を持たなかったのか、と。そしたら毎日がもっと充実したと思うし、お兄様とまさかのセッションもできたかも知れないなと。ピアノも挑戦しようとしている今、過去の自分の愚かさに、「好きなもの」を素直に出さず、食わず嫌い的な思考で過ごしてしまったことに、マジ自分超勘弁という感じでした。

そんな中でも、メタル文化やオタク、アイドルという存在はこの世から消えて欲しいという位、目障りなものとして捉えていました。生理的に受け付けないし、彼等の民度を疑うことしか考えられず、目を背け続けてきました。

しかし。

さあ、ここからが本題です。これまで色々な思考の変化を繰返し、おかげさまで私は変わりました。

これからは色々な分野を受け入れようと。

小難しい事は考えず、ジャンル問わず感性にビビビビときたら、とことん追求しようと。

食わず嫌いはもうやめです。

これを読んでる方は、嫌な予感がするかも知れません(笑)でもたぶん的中します。

日本の音楽業界の歴史をひっくり返す前に世界に拾われた彼女達と、それをサポートする大人達から目が離せないのです。「日本も捨てたもんじゃねぇな」と私を改心させたこの連中に。


http://youtu.be/j6cC01au1RY

長くなりましたが、簡単に言えばこのアイドルにハマってしまったという事です。これを「末っ子B型の覚醒」と言います。そして、この子達のおかけでギターが超上達したのと、時を越えてお兄様が好きだったX-JAPANに興味を持つことができました。ありがとうございました。

という感謝を兼ねての報告をブログにしてみました。長文失礼しました。


第一回目の投稿の「水の話」で川の写真をUPしたのですが、その写真は山梨の専門学校で知り合った友人たちと、それぞれの仕事の連休を合わせて夏休みに行った川の写真です。学年は一つ上ですが、付き合いは6年目になります。皆山梨県人で、他県からきた自分にとっては頼りになって楽しくて、本当にかけがえのない存在でした。卒業してからも毎年何回か集まって、それはそれは本当に時間を忘れるくらい楽しいものでした。

その中の中心部の存在だった方が先日、25歳という若さで亡くなりました。また皆で集まって忘年会を企画するという連絡をする矢先のことでした。詳細は述べられていないのですが、自らの手で命を絶ったと言うことでした。

ちょうど今日から先週の事です。なぜなのでしょう。会った日の最後の「げんさん、またね!」という何気ない言葉と表情が頭から離れません。彼は本当に人望が厚く、友達や知り合いがたくさんいて、皆に平等に接する友人でした。在学中はいつも決まった友人の家に集まり、宅飲みをして、朝まで楽しく過ごしたものです。皆の笑顔の中心にいたのが亡くなった彼です。就職活動の際は、持ち前のバイタリティーと斬新な手法で大手企業になぐり込み、内定をもらってくるような破天荒な方でした。

とにかく、面白いし、勉強になるし、一生友人でありたい、繋がっていたい、と思える中の一人でした。彼の死から得たものは、などと考えますが、今はただ振り返ることしかできません。まだ彼と死とを直結することができません。

このブログを読んでいる方、それぞれ身近な人々の死に直面したかと思います。その度に辛い時間が続き、乗り越えてきたかと思います。私は1週間経った今も、思い出す度に涙が出て辛いです。でもこうやってブログに書いて、今の自分の気持ちを綴ると、不謹慎だと思いつつも、こういう人がいたんだよ、って皆に知ってもらう事ができて何だか気持ちが落ち着くのです。独り善がりなのでしょうが。

みつきさん、また皆であの川に行きましょう。仕事の話もしましょう。飲みましょう。んで、
また会いましょうね。


幼い頃から現在に至るまで、映画に触れながら生きてきたように思えます。

これは兄様の影響と言っても過言ではないでしょう。

週末の映画を録画した「バック トゥー ザ フューチャー」を理解できぬまま頭の中に何度も刷り込まれたと思います。SFにのめり込んだのもその影響かと。

そして、同時に「日本はアメリカに勝てない」という、変な考えが芽生えたのを覚えています。戦争も、エンターテイメントもアメリカ様だと。自分にとって取り入れるべき物は、洋画と洋楽しかない、日本の映画と邦楽を頭の中に入れてもたかが知れていると。

でもゴジラは唯一、屁理屈少年の心をワクワクさせてくれました。しかし、小学五年の時に映画館で鑑賞したハリウッド版ゴジラの衝撃によって、またアメリカの凄さを考えさせられました。屁理屈少年レベルを上げてしまった一本でもあります。
そして、映画におけるカメラワークやカット割、CGの使い方の意味と大切さをこの作品で学んだと言っても過言ではないでしょう。(ストーリーは抜きにして)世間ではなぜ低評価なのかが不思議です。

そんな屁理屈少年もやっと日本映画を観れるようになり、新たな感性が磨かれそうな、そんな気がします。きっかけは大楠道代さんと梶芽衣子さんです。「ツィゴイネルワイゼン」「修羅雪姫」「怨み恋歌シリーズ」など。たぶんオーラでやらたのだと思います。

でも同年代の方たちともっと話ができるように色々な日本映画を見て勉強したいなぁと思います。

教養面の代わりに詰め込まれたこの知識を、どう活かすかも考えたいものです。