19歳までぼくは2世帯住宅で暮らしていた。

 

じいちゃん、ばあちゃんが

とある宗教法人の分教会を運営していたこともあって

家にはいつも、いろんな人がやってきていた。

 

朝と夜に決まってお礼の儀式(?)を行っていた。

 

手で水をすくったり、かき分けたりする動作がどうも滑稽で

幼い頃からただひたすらに抵抗していた。

 

オウム真理教の地下鉄サリン事件もあったから

宗教にいいイメージなんてなかった。

 

だけど、今なら宗教を糧にして

生きようとする人の気持ちが分かる。

 

ぼくは先日、ストレスがたまりすぎて

体が会社に向かわなくなった。

 

以前にも同じようなことがあったが

今回は本当にひどかった。

 

大きなトラブルが起き、

何から手を付けていいか分からない混乱状態。

 

規則正しい生活や食事を心がけたけど

一向に上向きにならない。

むしろ、事態は悪化の一途をたどった。

今もその現在進行中である。

 

心が弱り、疲れ果てた時

いつにもましてネットサーフィンをした。

 

ぐちゃぐちゃになった心を

なぐさめてくれる何かを探していたのだろうか。

 

心にしみたのが、仏教だった。

 

お寺の和尚さんが

悩める現代人へ仏教の思想をもとに

回答するYou Tubeチャンネルを見た。

 

具体的に何がということは思い出せないが

昔の人も今と同じような悩みを抱え

苦労したんだということに、ある種の安心感を覚えた。

 

もちろん、自分の問題を解決したわけじゃない。

 

一生懸命、今を生きる人へ

寄り添う言葉や考え方を

昔の人々が遺してくれていた。

 

宗教が、自分の弱さと向き合ったり

つよくあろうと思う人の力になっていたとすれば

それは本当に素晴らしい。

 

世間知らずのまま、ただ勢いだけでここまで来たぼくは

はじめて宗教の価値を目の当たりにする。

 

信じるものがある人はつよいんだ。