【元気net.TV】 第十四回 学校では習わない大東亜戦争 | 北川元気オフィシャルブログ「元気があれば、なんでもできる!」Powered by Ameba

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現役の高校教師、水谷先生から学ぶ

「学校では習わない大東亜戦争」シリーズ第14回。

今回も、前回のテーマにひき続いて

「日本を二度とアメリカの脅威にしないために」Part3

最初からご覧になりたい方は→こちら




「日本を二度とアメリカの脅威にしないために③」
 
第10回 戦中(占領編)
 
--------前回までのおさらい
 さて、前回は大東亜戦争の占領編ということで、アメリカの脅威としないため、日本から二度と戦争はいたしませんと一筆取った。さらに、勇敢な日本民族を骨抜きにするためウォーギルトインフォメーションプログラムを実行していった。そのための中心機関がマスコミであり学校教育だと述べました。
 
さて、今回はGHQがどのようにして自動的に日本人が日本人に対して戦争贖罪意識の植え付けをするようシステムを作ったかというところをお話しします。

さて、ポツダム宣言の第10条に言論の自由を詠っているアメリカですが、GHQの民間検閲局(CCD)は日本人がやりとりしていた手紙を検閲しました。それは日本人の世論把握や連合国への批判防止などのため、昭和20年10月から24年にかけ、郵便物や電話などの検閲を東京、大阪、福岡で行いました。そして、CCDの下で実際に検閲したのは5700人いたとされる日本人です。彼ら彼女たちに普通のサラリーマンの2倍以上の高給を支払い、「闇市」「共産党」「引揚者暴動」「物価」とか、世間を騒がすような単語を書いてある手紙は英訳させて、GHQがその手紙の人物を逮捕しました。 

後ろめたさから当時検閲官になった方で検閲を証言する方は少ないですが、数少ない証言者によるとまた当時検閲官になってすぐ上司から「(検閲で)日本人の生活や考え方が分かり、より良い占領政策がとれる。裏切りと思われるから仕事のことを外で言うな」と口止めされたそうです。

え~、とんでもない日本人がいたものですね5000人以上も、アメリカの手先として日本人の私信を検閲して告げ口する輩がいたのですか。ポツダム宣言で言論の自由と言っておきながらアメリカは二枚舌ではないですか。

それどころか新憲法第二十一条でも「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」と謳っています。もうギャグの世界です。

そして、そんな5000人以上いた検閲官は最近の研究によると東大、京大をはじめとする有名大学の学生、後に文学者として活躍するなど優秀な人材が少なくなかった。そして、アメリカのため成果をあげた検閲官はどんどん給料を上げられ、出世していったのです。そして、そんな検閲官のトップであったのは社会主義者の高野岩三郎、明治時代に労働運動を最初に扇動した高野房太郎の弟です。そして、彼に与えられたご褒美は戦後の初代NHK総裁です。

だから、NHKの放送内容は偏向しているのですね。

まあ、少なからず彼の時代に戦後の方向性は出来上がったでしょうね。

一方、そのようなGHQによる検閲の様子は当時の新聞や雑誌では一切伝えられません。それは昭和20年9月からプレスコードという出版物に対する規制がかかっていたからでした。

それまでの新聞等は日本のための報道をしていました。例えば8月15日には「帝国政府四国共同宣言を受諾 万世のために太平開かん 畏れし 敵の残虐・民族滅亡を御シン念 神州不滅 総力建設御垂示」とありますが、9月15,17日と鳩山一郎の原爆批判が朝日新聞に掲載されます。その結果、GHQは朝日新聞に18日から2日間発行停止処分を与えます。そして、19日にはGHQが「日本に与える新聞遵則」いわゆるプレスコードを発令します。その内容は全部で10条からなり冒頭には「報道は絶対に真実に即すること」となどともっともらしくありますが、その他の内容は簡単にいうと連合軍に都合の悪いことは言うなということ、つまりいつもの二枚舌です。

ところが、9月21日に停止がとけた朝日新聞は一面に「マッカーサー司令部指示の新聞記事取り締まり方針第1項『真実に反して公安を害すべき事項を掲載すること』に違反したものありとの理由によって」と発行停止の理由を掲載しています。つまり、朝日新聞がGHQの方針に遵った瞬間です。そして、これはその他の新聞にも連合軍批判をしてはならない、もしGHQの勘にさわるような報道があればわかっているなと楔が打たれたわけです。これらは他の雑誌や書籍などの出版物、ラジオや映画などのあらゆるメディアにその対象が広げられていきます。

さらに、12月8日からは新聞に「太平洋戦争史」を、ラジオでは「真相はかうだ」という、いかに日本軍が東南アジア各地で残虐な行為をおこなったかという、連合軍による虚偽宣伝を日本のメディアが垂れ流すようになりました。当時の人達には悪いことをしたという感覚は全くありませんでした。ただ、米兵を見ると憎い、死んだ兵隊さんに申し訳ないと考えるのが一般的でありましたが、これら戦争贖罪意識の植え付けが翌年からおこなわれる東京裁判の下地作りとなり、また学校の歴史教科書の内容ともなり戦後世代の思想が形成されていく訳です。

つまり、GHQは日本人に対し戦争贖罪意識を植えつけつつ、その一方でGHQの意向に沿う者には高給と地位を与え、遵わないメディアは追放するというアメとムチで手なずけていきます。

食糧事情が厳しく、生活が苦しいという時代背景があったことは否めませんが、そんな中GHQの占領政策に協力した日本人がいたのも事実です。そしてそれは、占領統治が終わった後もGHQの価値観を身につけた日本人により自主検閲をおこない現在まで生きています。

まさに仕付けの賜、「生まれより育ち」です。

では次回は、学校の先生がなぜWGIPを教え続けるのかというところを見ていきます。