【元気net.TV】 第九回 学校では習わない大東亜戦争 | 北川元気オフィシャルブログ「元気があれば、なんでもできる!」Powered by Ameba

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大変長らくお待たせいたしました。

「学校では習わない大東亜戦争」シリーズ第9回。

今回のテーマは「自由の国アメリカ、紳士の国イギリス」です。

※最初から見たい方は→コチラ



--------前回までのおさらい
 さて、前回は大東亜戦争初戦の勝利は日本の航空機動部隊の活躍、そしてその背景にあるのは人種偏見に基づく彼らの油断があったとお話ししました。
 今回は大東亜戦争の中盤以降におこなわれた人種偏見に基づく日本人捕虜虐殺を、西洋側の資料から中心に見ていきます。

 ルディ・カウスブルック著 『西洋の植民地喪失と日本』にはこう書かれています。
「戦時中にいたっては、西欧の抱く日本人像が包み隠さずさらけ出されたと言えよう。連合軍の戦争政治宣伝はおおぴらにレイシズムそのものである。そのよい例に〈これが敵だ!〉というコピーのついたポスターがある-ここには、裸の白人女性を連れ去ろうとする、卑劣漢に仕立てられた日本兵が描かれている。」とあります。そのポスターがこれです。

 当時オランダ人の一般的な日本人に対する見方は「あの黄色い蟻ども、細い目の者ども、くすんだ灰色の鼠ども、ヨーロッパの国に決戦を挑むとは、それも負けるとわかっているのに身のほど知らず。良くもそんな厚かましい勇気が出たものだ。」というようなものでした。

---------ジョンダワー著『人種偏見』
 では日本人絶滅政策の項で「43年に米軍が行った調査によれば、すでに約半数の米兵が平和が回復されるまでに日本人は一人残らず殺すべきだと考えていた。戦場の米兵たちは日本人は他の敵とは違い、殺すか殺されるかの2つに1つしか選択の余地はないのだと教えられていた。『諸君が戦っているのは狡猾、残忍、無慈悲な敵であり、どう殺すか、どう死ぬかの術を心得ている』とトマス・ブレーミー将軍は、42年にポートモレスビーで、オーストラリア軍部隊に向かって語っている。」しかもその続きとして「これは連合軍の戦場での話しとして典型的な例といえる。」とあるんです。

 大西洋横断で有名なチャールズ・リンドバーグはニューギニア米軍基地に従軍しその日記に、「日本人捕虜にタバコをやり気が緩んだところを後ろから押さえ、のどを真一文字にかき切った」というのを、日本兵捕虜殺害の一例として教えてくれたある将軍との会話として要約している。

 6月26日の日記では2千数百人という日本兵捕虜が捕虜収容施設に引き渡される時には僅か百か二百人に過ぎなかったと。そして、殺害されたにもかかわらず「事故にあった」と報告された。それは「仲間が降伏したにもかかわらず機関銃で撃たれたという話が日本兵に広がれば、投降しようという者などいなくなるだろう」とリンドバーグは聞かされた。つまり黄色い猿に過ぎない捕虜を取り扱う、余分な手間や面倒が省けるという理由からであった。

 7月13日の日記では「われわれの兵士達は日本人捕虜を降伏しようとする兵士を射殺することをなんとも思わない。かれらジャップに対して動物以下の感心しか示さない。こうした行為が大目に見られているのだ。」と記された。

 ある仲間のパイロットから直接聞いた話によれば、後ろ手に縛られた日本人捕虜を輸送機に乗せて収容施設のある地域に輸送する際、彼らを飛行中に突き落とす行為がおこなわれた。そして、報告書には捕虜全員が自分から飛び降りたと記録された。

 ちなみに、マッカーサー指揮下の第41軍は「捕虜をとらない」つまり、武器を捨て両手を挙げて降伏する日本兵や、既に降伏した日本兵を殺すので有名だったのです。

 アメリカの歴史家アラン・ネビンスは「我々の歴史上おそらく日本ほど嫌悪された敵はいなかっただろう。」その理由として日本軍の残虐行為に関する報道および真珠湾攻撃を挙げ「かつて野蛮とされていたインディアンとの戦い以来忘れさられていた感情が、日本人の凶暴性によって呼び覚まされた。」とある。

 捕虜の扱いにしても、本土空襲や原爆なども明らかに人道に反する行為であり当時締結されていた戦時国際法違反です。しかし、一切守られない。それは背景に有色人種に対する人種偏見があるわけです。
 
 もし、こんな民族滅亡しか考えないような敵と戦うことになれば、どのような想いで戦いますか。負ければ民族滅亡ですから、最後まで戦うしかありません。まさに鬼畜米英であり、「生きて虜囚の辱めを受けず」です。

 日本は必死に戦いましたが、劣勢となりました。大東亜戦争の天王山と言われるのがフィリピンをめぐる戦いです。次回は、日本国として生きるか死ぬかという瀬戸際に立たされた先人がどういう行動をおこすのかを見ていきます。