【元気net.TV】 第8回 学校では習わない大東亜戦争 | 北川元気オフィシャルブログ「元気があれば、なんでもできる!」Powered by Ameba

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「学校では習わない大東亜戦争」シリーズ第8回。

今回のテーマは「めちゃめちゃ強い!航空機優位の日本」です。

※最初から見たい方は→コチラ



今回からいよいよ戦中編!「めちゃめちゃ強いでニッポン」
-----前回までのおさらい 
石油・鉄などの輸出を絶たれ、輸入に頼っている状態だった日本は、戦争したくないので日米交渉を続けるもハルノートを突き付けられる・・
自存自衛・アジアの開放はどうなってしまうのか?

・大東亜戦争開戦(初戦・・・日本はなにをしたかったのか→油田確保
・初戦は強かった日本・・・なぜ強かったのか?日本人をみくびっていた白人→人種偏見

 前回は支那やアメリカの反日プロパガンダでアメリカ世論が反日になったと述べました。一方で、アメリカ政府は日本を経済的に追い込み、日本としても打って出ざるを得ない状況になりました。実はその結果、信じがたいことですが野蛮で卑怯な大猿が世界征服の野望を抱き、我々文明国に歯向かってきたとの共通認識が欧米人の間に広まっていきます。当時のプロパガンダポスターを見ても、日本人は巨大な猿か、ネズミ、ムカデといった描かれ方です。

 特に日本に対する脅威を大きくさせた三つの戦いが、大東亜戦争の初戦にありました。真珠湾攻撃、マレー沖海戦、フィリピン作戦です。三つとも日本の航空機動部隊が大活躍した戦いです。当時において航空機は最先端技術でした。現代の宇宙工学と同じです。つまり、第2回でお話ししましたが人種偏見の当たり前の戦前において、文明国たる欧米白人諸国家のみが持ちうる技術であって、有色人種が航空機を作ったりパイロットとして操縦したりすることは不可能と考えられていました。

 ゼロ戦は、昭和15年の支那大陸で初めて使用されています。当時、国民政府軍はアメリカやソ連の最先端航空機を使用し、また技術指導も受けて操縦しておりますが、日本人パイロットの操るゼロ戦にはまったく刃が立ちません。技術指導していたクレア・シェーンノート元陸軍航空大尉は本国に対して客観的データと共に報告しますが、軍や政府の首脳はまさか有色人種が我々白人よりも優れた航空機を作るわけがないと意に介しません。その様な状態での大東亜戦争開戦でしたから、当時の航空常識を覆すゼロ戦と支那事変以来の実戦経験を積んだ熟練パイロットの技術がマッチして破竹の快進撃で大東亜共栄圏、つまりお隣の泥棒さん達を追い出すことに成功します。では、今回はその様子を見ていきましょう。

 まず、英米の東南アジア支配の拠点はシンガポール、マニラ、香港です。そして、日本の初期作戦の目標はオランダ領東インドにある油田を確保することです。そのためにマレーとフィリピンにまず足場を確保しオランダ領東インドを目指して南下していきます。また支作戦として香港、イギリス領ボルネオ、グアム、ビスマルク諸島、モッロコ、チモール島を攻略します。そして、これに真珠湾攻撃を加えたものを「南方作戦」といい、敵に悟られないためほぼ同時進行でこれらの戦いは行われます。

 ハワイにはアメリカ太平洋艦隊が停泊していました。この艦隊はアメリカが日本と戦うために日露戦争以降配備していたもので、当時の日米の海軍力は太平洋方面で7.5:10でした。そこで、先制攻撃によりアメリカの太平洋艦隊主力を叩くため昭和16年12月8日真珠湾を攻撃します。当時はまだ大艦巨砲主義で軍艦が勝敗を決すると考えられていた時代でしたから、大きな軍艦を作ろうと各国必死でした。航空機では象に襲いかかる蚊みたいなもので、軍艦を沈めるのは不可能であった時代です。そんな中、帝国海軍はいち早く航空機に魚雷を搭載して艦船を撃沈する戦術を編み出していきました。さらに、その航空機を空母に艦載して、空母機動部隊として初めて実戦使用したのが真珠湾攻撃です。こうして、世界で初めて魚雷を搭載した航空機が停泊中の米軍艦8隻を撃沈させるという大戦果を挙げました。だまし討ちの世論で掻き消されていますが、世界の度肝を抜いた戦争史上画期的な出来事です。

 一方ほぼ同時刻に陸軍はマレー半島の北端のシンゴラ、コタバルに上陸し進撃を開始した。一方イギリスの世界最大級の戦艦2隻は上陸部隊を打ち破るべくマレー沖で日本軍と対峙する。「ロールスロイス対ダットサンの戦争」と揶揄されたが、世界最大級の英軍艦プリンスオブウェールズは日本の航空攻撃により撃沈。チャーチル首相もその報告を受けたときが最も衝撃を受けたと回想している。真珠湾とは違い、行動中の艦船が航空攻撃により撃沈された初めてのケースであった。これにより制海権を奪い、その後は銀輪部隊という自転車部隊が次々と撃破マレー半島を南下、翌年2月にはイギリスの東洋支配の拠点であったシンガポールも陥落し、イギリスの東南アジア支配の拠点は崩れる。

さらに、当時のフィリピンは、アメリカが日本に睨みを効かせるため極東軍部隊がおかれていました。その司令官はマッカーサーです。そのフィリピンを攻略したのがフィリピン作戦です。真珠湾攻撃から数時間遅れで台湾南部の飛行場を飛び立った零戦がフィリピン北部にあったアメリカの飛行場を奇襲し、米飛行機部隊を壊滅させます。一日でフィリピンの制空権を奪っているんですね。マッカーサーはまさか日本軍が航空機など操縦できるわけないと考えていましたので「操縦していたのはドイツ人だった」と言い張ります。また、当時の航空常識を覆す航続距離を誇っていたのがゼロ戦でしたから台南の飛行場から空襲をかけることが可能だったのですが、まさかそんな航空機を日本人が作れるわけないと信じていたマッカーサーは、近海に空母があるはずだと探していました。

 その後は、バターン半島、コレヒドール要塞に立てこもった米極東軍部隊を降伏へ追い込みます。コレヒドール要塞に立てこもった米陸軍に対しててこずったため予定を大幅に遅れフィリピンを制圧しています。ちなみにマッカーサーはオーストラリアへ逃亡しています。