吉原手引草/吉原炎上 | 6畳一間

吉原手引草/吉原炎上

テレビ朝日の吉原炎上を観ました。とゆうか観てます、終わりかけです。


つい最近、先生が読み終わったものを破格値で買った『吉原手引草』を読んだばかりでして。
そのせいで観たかったとゆうのもありました。



炎上のほうは、手引草を本当に参考にしたのかなと思うくらい、最初の吉原の仕組みを説明するあたりの台詞に聞き覚えがありました。


最近よく題材として取り上げられてますね、吉原。さくらんとか。

あとわたしが触れたことあるのは、劇団新感線の『吉原御免状』かな。
経験値がたまってきたので、ちょっとまとめたいと思います。



吉原っていろんな意味で不思議なところですね。

まず現代の感覚からゆって、売春が合法化されているところがすごい。
しかも、今なら卑下されるしかない体を売る女性たちが、吉原の中ではむしろ権力をもっている。
吉原に一歩入ると、びっくりするくらい絢爛豪華で、四季さえも人工的に作られていて、つまり完全に外界と隔絶された一種の異世界のようになってる。
そうやって一般社会から隔離して、女を買うことへの罪悪感を薄れさせたり、取り締まりやすくしたりしてたんだろうな。

そりゃ創作の良いテーマになるよなぁ。
それ自体ひとつのファンタジーのようなもんなんだから、空想がはずむってもんだ。
ファンタジーぽいけど現実だったから、空想にリアリティがもたせられるし。
しかもその舞台で日夜演じれてるのは、古今東西地域も時代も問わず人類共通の関心事、男女の色恋なんだから。

かくいうわたしも大変興味津々です。読んでて見てて楽しいです。

でもやっぱり、女としてやりきれない気持ちになる。

例えば吉原御免状。
吉原という特殊な環境が生まれた理由を創作しているエピソードがありました。記憶があやふやなので間違ってるかもしれませんが、たしかこんな。
山で生きる女性たちは非常に生きにくい状況にあった。そんな女たちに、安らかに暮らせる、むしろ権力すらもてる場所を与えてやりたい。そのために作られたのだ、とゆうものでした。

一理あるかもしれない。
たしかに、吉原の外よりは生きやすい面があるかもしれない。


けど、ちょっと待てと。


そのために、女が体を売るとゆう状況が軽視されていないか?


体を売るって、女性にとってもっともっとすごーーく重たいことだろう。
理屈で説明できない屈辱感があると思う。



そう、きになったのは、吉原御免状も吉原炎上も作者が男性だということ。


さくらんは、それほど深い思慮は感じられなかったのでちょっとおいとく。

手引草は女性だったけど、感情の機微よりは文化のほうに重点が置かれていた気がするので微妙。


と、ここまで書いて携帯なので限界がきました~。

とりあえず、テレビ観て思った素直な感想を記して終わりたいと思います。



つぎ好きな人に会ったら、問答無用でものすごーく大事に扱ってほしい。

世の中の彼女もちの男性はみんなもっと彼女にやさしくなれ。


失礼しましたー。