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古美術 玄海樓店主のきまぐれブログ

あれだけ話題となっていた南海トラフ地震云々、

明るい話題でいくと「大谷翔平」選手の活躍、

毎年加熱する「ハロウィン」の影響も、

それらが済み、ちょっと一段落でしょうか。

日本の首領も変わり、衆院選も終わりました。

米国も首領が変わりました。

11月も半ばを過ぎ、

毎年のことですが、ちょうどこの頃、

うんと気温が下がり冬へと向かうのですが、

今年はどうやらいつもと様子が違うようです。

 

本日、記念すべき日に、

このところずっと感じていたことを綴ります。

 

実は、夏からバタバタと、

お世話になった先輩方が次々とお亡くなりになりました。

当方が若い時からずっと可愛がっていただき、

また色々ご教示いただきました。

簡単には言えないのですが、それを一つ一つ思い出しながら、

「そうだったよなあ」とか

「それを忘れずにこれからも進まなければ・・・」

などと、再認識しました。

 

「教え」、というものは

何も今に限ったことではなく、

太古の昔からある訳で、

ほとんどの場合、それは普遍的です。

その時代、時代に合った価値観であり、

その人、その立場、その条件に合っており、

それらを否定する権利は誰にもありません。

 

最近、

「若い人が働いていないよね、どこ行ったんだろう」とか

「働いているの外国籍の人ばかりだよね」といった声が

よく聞かれます。

確かに、例えばレジを打っている人をみた時、

日本の若い人が少ないように感じます。

無論、会社勤めの人たちは大勢いるのでしょうが、

目にする機会が減ったのかもしれません。

 

「不労所得」。

この言葉を聞いて久しいですが、

勤労しないのが何も悪い訳ではありません。

世間はむしろ「投資」「運用」などと既存の資産を運用することで

利益を生み、それで生活をすることを推奨しています。

要は「カネ」で「カネ」を生み、それで暮らしていこう、

という訳です。

おかしなことに・・・。

 

これまでは、

「生業」というものがあり、

勤労することでその対価である「お金」をもらい、

その「お金」で生活に必要なものを購入し、暮らしてきた訳です。

 

「?」

「何を、今更当たり前のことをいっているのか」と

これをお読みの方はお思いでしょう。

 

そうです。

ところが、この当たり前のことが

既に揺らぎかけているのです。

 

社会に出て、勤労し、社会の成り立ちを勉強し、先達から学び、

自分自身を何かしらに貢献することで喜びを感じ、

家庭や大切なものを得、将来を憂い、また夢見て、

また後世の人々へ伝承し、託す。

そういった当たり前のことが、だんだん当たり前でなくなってきているのです。

 

実に「由々しき」ことであろうと思います。

まだご活躍中の皆さんはその意識や価値観をお持ちかと思いますが(失礼)、

この令和の時代に、これからの若い人たちには

もう必要ないものになりつつあります。

 

「生成AI」「Generative AI」と呼ばれるもの。

大変便利で、最近爆発的に登場していますが、

この危険性を皆さんお判りでしょうか。

お気づきでしょうか。

基本は学習済のデータ、これを元に生み出してゆくのですが

そのデータが稚拙な場合、また間違ったものであった場合、

生成されたそれは全く違ったものになります。

これから先、何も学ぼうとしない人物は、

そのAIのデータを信じるしかなく、

それが正しいと信じて生きてゆくのです。

 

「日本」のイメージや「和」のイメージ、

もっというと歴史的なもの、文化、日本家屋や床の間、

例えば掛け軸や飾られたもの、

それらが何も知らない人間がデータ入力することにより、

あり得ないものが出現します。

文字もそう、漢字なんて生成AIが生み出すものをご覧になったことがおありですか。

それを何とも感じない人々が増え続ける、という事になるのです。

 

漢字を捨てますか?

文字を捨てますか?

文化を、これまでの先達が遺してくれた功績を、叡智を、

全て捨ててしまうのですか?

 

そうやって英語にまみれ、

欧米諸国はじめ諸外国の頭脳明晰な者のいいなりとなり、

何も学ばずに、興味のないことは学習することなく、

ヒトと触れ合わず、楽をすることでのうのうと生きてゆく、

それでいいのでしょうか?

 

今の時代、ビジネスや経済政策といいながら、

単なる価値観の転換ではなく、

イノベーションといった新しい時代の夢のあるものでもなく、

実は人類の骨抜きのための政策や

一般庶民を都合のいいように操るための方向性、

それを強く感じます。

 

SNS等により、非力の者が力を得ました。

非力は才がないため非力でした。

ところが、文明の利器により力を持ち大きな影響力を持つ事となりました。

それを意味のないところに大勢がその力を注ぎました。

才がないからです。

そのため、本来才あるものに対して放ったことで

世の中がめちゃくちゃになりました。

 

才なき者に不必要なものは与えてはいけません。

恐らくこれは歴史的鉄則だったかと思います。

 

 

敗戦、それにより特に日本は多くのものを失いました。

 

それまでの歴史、輝かしい文化や思想、果ては藝術といったものまで

勘違い、認識違い、

挙句には否定されつつすらあります。

 

当方、20代の時に訪れた英国のロンドンでの

「JAPANESE ANTIQUE FAIR」の期間中、

売り場に立ち、かの国の様々な人たちと触れ、肌で感じ取ったこと、

それは、

「自国の歴史や文化を知っている事」

「それを理解し自国に誇りを持っている」

が故に他国の歴史や文化に興味を持つことができ、

またそれらを許容し、理解を深められる、

ということです。

 

自国を愛せずに他国のことをどうこういえますか?

これは極度の愛国心でもなく、右や真っ赤とかいった話ではありません。

また、人種が、とか混血が、という話でもありません。

もっというと、

自分自身を理解できないのに

他人を批判したり、評論できますか?

 

AIの普及により部分的に利便性は上がり、それが常識となるでしょう。

 

が、人類は更なる損失を被ることとなり、

これが人類の衰退であり、

滅亡へとまた進んでゆくことでしょう。

 

異常気象や天災により多くの人々が被害にあっています。

それを温暖化だけで片付けてしまう、

またそれをビジネスと連結させる輩。

 

利便性最優先で、それがあたかも疑う余地のないものにしてしまう

国家の政策。例えばリニア、クルマもそうです。

それは他国を凌ぐだけでなく、やはりここにも政治が絡んでいます。

 

 

私は、とっくに折り返している人生の残り20年か30年か、

それも解りませんが、

この人類が進む方向に逆行することになろうとも、

今のこの仕事を通して

「我が信ずる道を進む」と

また心を新たにした節目、年一度の記念日でした。