今日は、ロースクール時代の後輩の結婚式でした。これからの二人が幸せでありますよう祈って止みません。教会で執り行われた結婚式。「父と子と聖霊の名において」結婚が成立したことが宣言されました。


1.聖霊と民意と
いちゃもんをつける気はサラサラないのですが、「聖霊」が実在するかというと答えは「No」であろうと思います。ゆえに、ある者が聖霊の意思をくみ取ることになる。そして、そのある者の口から出た言葉は聖霊の意思ということになります。

同様に、世論や民意というものは存在しないとも考えられます。なるほど、市民一人ひとりの意見は色々あります。しかし、その意見のマジョリティを世論や民意ということはできませんし、結論だけのアンケートを取って判明するものでもないでしょう。ある者が世論や民意をくみ取ることになり、そして、ある者の口から出た言葉は世論、民意ということになるという構図ではないでしょうか。

2.「教皇主義と公会議主義」と「首長と議会」
先述の聖霊の意思解釈の至上決定権は教皇にあるのか、公会議にあるのかが中世において問題となりました。


民意や世論は選挙で選ばれた者が議会で発言することにより、顕在化すると考える場合、中世の教皇主義と公会議主義との対立と同様に、民意や世論の意思解釈の至上決定権は、首長にあるのか、議会にあるのかという問題は生じると思います。難問ですが・・・


ただ、先日の一般質問において、ある議員の提案に対し市長からは「(市民の)ニーズがない」との答弁でした。ある議員が議会の壇上で発言したにもかかわらず。

市民の意思を色々な方法で探り、解釈し、議場で発言することにより、世論、民意とすることが議員の仕事であると考えるのであれば、「ニーズがない」という答弁はあまりにもひどいのではないかとも思えます。(まるで世俗版「教皇首位説」に立った答弁ではないでしょうか)


そのやりとりを聞きながら、ふと教皇主義と公会議主義との対立を思い出しました。
どうでも良い話を書いてしまった気もしますが・・・