十二月議会が閉会しました。提案された条例案、予算案はすべて可決されました。少し(!?正直に言うと前から)気になったのが、指定管理者についての議案です。文化会館や市民プールの案件につき、一部の議員の反対がありました。(他の議員の批判をするなということですから、ひとまず実名は差し控えます)


論旨を勝手に要約すると、公の施設を民間に委ねると、競争原理がはたらき、コストを下げる競争となり、市民サービスの低下をもたらすというものであったと記憶してます。(たぶん・・・)反対する論旨には、「指定管理制度=悪」という図式が見え隠れします。果たしてそうでしょうか・・・?大上段に民間と公とどちらが優れているなどという神学論争をするつもりはりません。ただ、リーダーシップと同様に、ある場合に、民間と公務員とどちらが担う方が、市民満足にとって有効であるかの議論こそが大事ではないかと思います。


話は少し遠回りします。A議員が、指定管理の募集についての応募が一団体であることの妥当性から質疑に立ちました。この質問を受けて、B議員が「指定管理の『指定』は行政処分ではないか?」(行政処分なら、契約ではないから競争入札ではなくてよい=一団体でも問題ないという趣旨)という質問に立ちました。

当然、行政処分です!(横道に逸れますが、A議員は一団体しか応募していない妥当性を問題にしたのであって、違法性は問題にしていにから、B議員の行政への「ホワイトナイト」は、実は、失敗している)


そして、原則として双方の合意によらければならない契約ではなく、一方的にできる点で行政処分は強いのも当然です。また、B議員の問題意識のように行政処分にいたる過程も、コストを競う(最近ではプロポーザル入札というのもあるものの)入札を用いない点も忘れてはなりません。すなわち、自治体が自らの責任において、事業計画書における提案などからサービスの水準などを中心に応募者の中から指定管理者を選定しています。コストの問題は二の次、また、副次的なものと理解するべきだと考えられます。(ただ、指定管理料と利用者負担は見直すべきことについては既に書いた)


もっと言い換えると、指定管理制度により、市民サービスが損なわれるという向きは、「指定管理制度=悪」という図式ではなく、事業計画書や協定書を通して、市民サービスの水準を論じるべきであったと考えます。

ただ、このように書く私自身も事業計画書に記載の「サービスの質」について、本当に民間の経営感覚が活かされているか、自由で多様なニーズを達成できているかまで、資料を読み込み、発言できなかったことは反省しています。(鷹尾議員の一般質問にもあったように、開館時間の妥当性にも踏み込んだり、利用者の少ない季節、多い季節によって利用料金を考え直すことを提案できたかもしれません。また、先述のA議員の質問は、市民サービスの水準について比較しようがないことを問題にしたものと私は理解しています)


繰り返しになりますが、これからも問われるべきは、市民サービスの向上であり、そのために、ある場合において、市民サービス向上により有効打を打てるのは、民間か公務員(直営)かではないかではないかと考えます。「常に、直営が正しく、民間へのアウトソーシングは例外(≒民間性悪説)」あるいは「民間でできることは民間が全てするべきで、直営はその例外(≒直営性悪説)」という発想は分りやすいですが、極端な気がしますし、思考停止にも思えます。


指定管理制度も、かかる文脈のもとで理解されるべきものだと考えます。(指定管理制度は、民間の経営感覚が活かし、自由で多様なニーズを達成することを目的にしたもので、民間にアウトソーシングすることによるコスト削減をねらいにしたものではないはずです。)