昨日のブログは申義堂について、「その活用のイニシアチブをとるのは行政か市民かどちらでしょうか・・・・?」という問題提起で終わったところです。


1.高砂学

今日の高砂学(毎月第三日曜日は高砂学の日)のテーマは、「近世高砂の教育と申義堂」(講師は大阪府立大学名誉教授・山中浩之先生)でした。今日の講義の中で山中先生が刮目するべき指摘をされていました。


申義堂の歴史を語るときに「河合寸翁が建てた」という意味のことが言われるが、実際は庶民(町民)のイニシアチブで建てられたのではないかという指摘でした。インフォーマルである庶民の中で寺子屋を越える学問所をつくろうとして動き、フォーマルである姫路藩家老河合寸翁はそれを吸い上げて助成したに過ぎないのではないか。つまり、申義堂はトップダウンではなく、ボトムアップでつくられた施設である、と。


山中先生がパラレルに論じられた大阪の懐徳堂もまさに商人有志でつくられた学問所でした。高砂と大阪に共通するものは、海運で栄えた都市であり、フォーマルな徳川の幕藩体制が治める都市であったものの、商人その他のインフォーマルな自治の精神と気概があったことのように思われます。


2.プリモダン

星霜を経て、現代はどうでしょうか?

工業国家を成立させるための人口移動を可能にしたのは、「オカミ」がすべての面倒を見るという政治であり、その結果は、「バラマキ」と「オネダリ」を支柱とするトップダウンの政治でした。


立法国家から行政国家へ、そして市民国家へと変わっていくと学界は予想しています。「バラマキ」「オネダリ」そして、「オカミ」が何とかしてくれる意識も変わらなければならないところです。そうでなければ、現代と江戸時代とどちらがプリモダンか分かりません。


山中先生も、申義堂が庶民のイニシアチブで建てられたことに触れた後、申義堂を復元させるというのであれば、そういうところも復元させなければならない旨をおっしゃていました。