新年のごあいさつが、公職選挙法上、当ブログではできません。

心苦しい限りです。


では代わりに何を書こうかと思いを巡らしてみるが、普段と変わらぬ調子で書くと、「元旦には元旦に相応しき内容を」(※4)と腐されそうで困ってしまう。元旦に相応しく格調高いことを真面目に書きたいところだが、そんなメンタリティが私にあろうはずもない。紅白歌合戦においてSMAPが「ORIGINAL SMILE」(※3)を歌っていたことも手伝って、元旦のブログのテーマは「笑い」にしたい。


1.空腕(※1)

狂言の「空腕」を深夜に見て笑ったのが、2012年の私の初笑いである。

と同時に、「高砂市の活気・活力のために色々と自分なりにやった」と宣う登市長に対し、「色々と自分なりやった」その内容を尋ねても具体的な答えが全くなかったことを思い出し、その「空腕」ぶりに初苦笑もした。

現在の高砂市の最大の問題の一つは、高砂に元気がないことである。市長の美辞麗句を並べただけの無為無策は笑えない。



2.和合

狂言の名門・茂山家は、かつての私の京都の家と近かった。その茂山家では、笑いを「和らひ」と書くそうである。狂言では演者と観客の心が共鳴し合い、ひとつになる。人の和が笑いに通じることに由来するらしい。

確かに、和がないところに笑いはない。

かかる哲学を以てすれば、高砂の和合の精神も笑いに通じる。


3.長寿

「和合」と書けば、長寿と続くものである。笑いと長寿も関係する。

「世の中で体のなかの毒を消すことができるのは薬と笑いです。体に効く薬と違って心に効く笑いは副作用もないから、ええことづくめですな」というのは、吉本興業の初代会長・林正之助の言葉であるが、医学的にも笑いが長寿につながることは証明されているらしい。

蛇足ではあるが、副作用のみならず、笑いにはお金がかからないことも薬との違いであろう。


4.2012年

今年は、人と人とが心を通わす「和らひ」を大事にしたいと思う。

また、元気や活力といったものを取り戻し、笑いに満ちた高砂市を目指したい。

「和らひ」と「笑い」で元気のなさを弾き飛ばしていこう!

2012年のテーマというよりは、これから100年のテーマかもしれないが。

もちろん、萩大名(※2)の大名のように「太郎冠者の向こう脛」とやって失笑されないように努めるつもり。


これからも、よろしくお願い申し上げます!

最後になりましたが、すべての人にとって笑い(「和らひ」)が多い年になることを願って止みません!



※1 狂言の演目

夜中に使いを命じられた太郎冠者が主人の刀を借りて出かけるが、物影におびえ、果てには地にひれ伏して刀を差し出し命乞いをする有様。あとをつけて来た主人が太刀を奪い扇で背中を打つと目を回してしまう。

しかし、正気になり帰宅した太郎冠者は主人に、途中で100人ほどの悪者と渡り合い、大奮闘の末、刀が折れたので逃げ戻ったと空腕立て(偽りの腕自慢)を並べたてる。そこで、主人が刀を出して見せ、叱りつけるという話。


※2 狂言の演目

田舎の大名がある萩の庭を見物に行くが、そこで詠まなければならない「七重八重九重とこそ思ひしに十重咲き出づる萩の花かな」という歌が覚えられない。太郎冠者が扇の骨や自分の脛(はぎ)を見せて歌を思い出すヒントを出すことにする。が、それでも大名は「七本八本」などと言い出す始末。あきれた太郎冠者が去ってしまうので、あとがつけられず「太郎冠者の向こう脛(すね)」と言い、面目を失うという話。


※3 作詞・森浩美

♪笑顔抱きしめ悲しみすべて街の中から消してしまえ晴れわたる空昇ってゆこうよ世界中がしあわせになれ
がサビの部分。


※4元名古屋商工会議所会頭、元東海銀行頭取である加藤隆一氏の言。

しかしながら、かかる言葉で批判されたリクルート事件にかかる新聞記事は、竹下政権の瓦解につながる嚆矢であり、後に笑われたのは加藤氏の方であった。