①15年以上前の話で恐縮ですが、当時の読売新聞の「地球を読む」というリレー形式のコラムに中東を代表するジャーナリストであるM・ヘイカル氏の執筆によるものがありました。正確には記憶していませんが、

戦史の研究者なら誰でも知っているが、撤退は前進より困難である。国際的声価、国内世論、国民感情、経済政策・・・・などをないまぜにした複雑な作戦行動となる。しかし、多くの国が「偉大なる撤退」に挑戦した。そのような意味のコラムになっていました。さらに、フランスのド・ゴール将軍にインタビューしたとき、将軍は、フランスの文化の偉大さを滔々と語ったこと。その際、フランスが核兵器を持っている旨の反論をすると、「他国が持っている以上、持たないわけにはいかない」とだけ再反論があり、また自国の文化の偉大さを語ったエピソードも載っていました。(※)


②12月ということもあり、多くの方にお会いする機会が多い。その際、質問される内容で一番多いのは、橋下大阪市長(や河村名古屋市長など)の評価などです。正直、困ってしまいます。ただ、高度経済成長社会下においての「バラマキ政治」が成熟社会・人口減少社会において「古い政治」として片付けられようとしていることは間違いないように思います(逆に言うと、パイがなくなりバラマキ政治を続けられないため、自らの地域や団体にパイを持ち帰れなり不満を募らす議員に対する掣肘があのような民意を味方とする独裁的手法を生み出したとも考えられる。そういう意味では歴史的必然かもしれない)


③今日、高砂学の講座に行ってきました。(とは言っても、直前の予定がおしてしまい、かなりの遅刻(--;))高砂市議会議員 中西かずとも オフィシャルブログ-ipodfile.jpg

同講座は相変わらず、すごい数の参加者。


今回は「源平合戦期の播州と高砂」がテーマでした。平安後期にも、高砂は歴史の舞台の一つなっており、あらためて歴史と文化で偉大さを定義づけられる高砂を思い知らされます。


また、講座終了後には伊能忠敬と高砂の関係を研究する市民活動も紹介され、市民の文化活動も垣間見ることができました。


④他方、漏れ聞くところによると、市長は色々な集いや団体に顔を出しては「あれもする。これもする。」とのたまっているらしい。まるで、サンタがプレゼントをあげるような気にもなっているのであろう。しかし、財源的裏づけがない場合が多く、おそらくそのプレゼントを渡す時期は明確になってはいないものが多かろう。また、プレゼントがニーズと合っているのか疑問なしとはいえない。


高まった市民の期待や感情を前に「ごめんなさい。できません」と言い続ける姿を想像し、登氏がなるのか、他の誰がなるのかは知らないが、次期市長は大変だと思うのは私の妄想か?


※すなわち。ド・ゴールは軍事力ではなく、文化によりフランスの偉大さを定義づけようとした。その後、コラムは当時の国際情勢を反映して戦勝50周年のパレードが自己欺瞞的であること、アメリカが国連安保理を玩具にしているという批判につながっていく