説明するまでもなく、今日は憲法記念日であり、国民の休日です。

(調べものをしに議会の自分の部屋に行くと、一部の職員の方がお仕事をされていました。国民の休日なのにおつかれさまです。)



さて、憲法といえば、国政における各党が改憲すべきか、すべきでない。その話し合いを始める(憲法審査会を発足する)べき云々と百花繚乱の感があります。



憲法の問題といえば、戦力不保持を定める9条2項、生存権(25条)、象徴天皇制(1条乃至8条)などが一般的ですが、統治のあり方もその一つに挙げてもよいと、私は、思います。



統治のあり方の問題の一つは国政における三権分立。

①フランス革命前夜(今から260年以上前)、言い換えれば重農主義社会においてシャルル・ド・モンテスキューによって紹介された統治のシステムが現代に通用するかという疑問。(そもそも、モンテスキューが理論的あるいは確かな考察を加え三権分立を提唱したというよりも、他国で行われていた統治システムの紹介に過ぎないのではないかという指摘が学会の一部からなされている)

②重農主義から産業革命を経て社会福祉国家の出現をみた現在、あるいは社会が自己組織化した現代、議会は予定された機能を果たせずにいるのではないかという疑問。一例を挙げれば、行政法・行政学では「法律による行政の原理」が大原則とするが、その法律を提案しているのは法律によって縛られるべきとされる行政であるのが実体である。また、諸々の利益を調整するのが議会の役割の一つであるが、党派的対立や選挙を前提とする近視眼性により予定されていた程には機能していない。代わって、行政手続法にみられるようにその機能の一部は行政が担っている。

という疑問がつきまとう。



しかし、現在の統治システムの問題が直截的に改憲に結びつくかといえば、そうではないことに留意を要しよう。隙間風が入り、雨漏りする旧いボロボロの家であっても新しい家(三権分立に代わる統治のシステム)(しかも新しい家は100年住宅でなければならない)が建築されるまでは、その旧い家に住まなければならないからである。そうでなければ、国民・市民の自由・権利は野晒しになってしまう。



肝心なのは、家の穴を現在の憲法下でいかにして修復できるかである。日本国憲法が予定する権力は立法府、行政府を除けば残りは2つ(3つとする説もなくはないが)である。司法府と地方の政府である。

それ故、司法制度改革が行われるとともに地方政府のあり方が問われている。

司法制度改革に対しては否定的評価が多いようであるが、国家100年の計の話であるから結論に至るには時期早尚ではなかろうか。



他方、地方の政府はどうか。現在、主権国家による統治・成長の限界を迎え始めたようにも思える。グローバル化という名の海外情勢の変化はその限界への到達を加速させている。故に、「道州制を導入すべき」という地方分権(地域主権)が声高に叫ばれている。

そこには、「現代に相応しい形」の統治システムを地方政府に託すという夢といかなる形が相応しいかという模索がある。



まず、地方自治とは何であるか。「地方自治の本旨」(92条)は、団体自治と住民自治であると解釈されている。その法的性格については、法学ではお馴染みの伝来説と固有権説の対立がある。

伝来説は、地方公共団体の正統性は国の権力であるとする考え方である。後述する社会契約説的に伝来説を説明すれば、国民が信託した結果、中央の政府に権力が一旦集約された後、中央の政府から地方の政府に権力が分け与えられたと説明することになろうか。

近代立憲主義は主権国家の成立の法的支柱でもあるから、伝来説は、近代立憲主義以降の歴史をある程度忠実に描写している説ともいえよう。

他方、日本を例にとれば主権国家成立前には藩があった。この点において、固有権説は近代立憲主義以前の歴史をも包含するものであるが、近代立憲主義にはそぐわない。

 もっとも、近代立憲主義とはマックス・ウェーバーがいうカリスマ的支配、伝統的支配がフランス革命における国民主権の思想の影響を受けて、合法的支配の衣を着ようとしたものであるともいえるようにも思われる。


ところで、国(中央政府)の権力の正統性は国民(人民)による信託・契約があったというジョン・ロックやジャン・ジャック・ルソーの信託説、社会契約説に立つのが一般的である。日本国憲法も「国民の厳粛なる信託」(前文)と表現している。

ここでは、伝統的支配、カリスマ支配、武力による主権国家の成立という歴史的経緯や実体は捨象されている。同様に、近代立憲主義以降の歴史は捨象し、地方政府の正統性は「住民」(93条2項)の信託によると解するべきではなかろうか。

このように解して、フランスにおける「主権の不可分」ドイツの「国家法人説」という現代に必ずしも合致しない呪縛から離れて、現代に相応しい地方政府のあり方、しかも地方の実情や地方の住民の声に沿う、を模索できるように思われる。

(つづく)