河村たかし市長が主導している名古屋市議会のリコール運動は約46万5千人の署名が提出されました。もっとも、その署名の審査には時間がかかるみたいです。


先輩議員や友人と話していると、名古屋のリコール運動はよく話題にあがります。

先輩議員や友人の議員等は「河村市長のやり方は強引だ」というような否定的な意見が多く、

友人には「どっちもどっち」というような意見が多いように思います。

皆さんはどう思われますか?


私は、「名古屋のリコール運動」それ自体は、その経緯がイマイチ好意的には受け止められませんが、悪くない気もしています。


首長と議会の関係は、中世の王様と貴族との関係(少なくともイギリスの議会制のルーツであると思われます)に例えることは全くの間違いではないでしょう。

そして、議会制民主主義とは「王の役割する人」と「貴族の役割をする人」とが①主権者たる国民・市民により選ばれるのみではなく、この二者に対立や意見の違いが生じたときには、神や教皇などではなく(マグナカルタを生んだジョン欠地王と貴族の対立はローマ教皇により審判されている)②主権者たる国民・市民が最終的に決着をつけるという点に特徴があるように思われます。

それ故、議院内閣制を採用する国政では、それ故、解散という制度があります。


しかし、地方の政治では①こそ充たされているものの、②は直截には充たされていません。

そこで、首長と議会との対立に最終的な決着をつけるべく主権者の意思をきくために、リコールという制度を使った。しかも首長が主導したというのは、おもしろいと思います。

また、首長と議会の対立とその決着を市民に求めるという緊張感があってこそ、首長も議会の構成員も自らの意見を一生懸命伝えるべく市民に対話をはたらきかけたのではないでしょうか・・・・?(不謹慎で、例えも悪いが、普段は親の言うことをあまり聞かない!?子供が兄弟喧嘩を機に一方がその決着を親に求めた結果、両者が親にすり寄ろうとするような構図にも映る・・・)


意見の対立や二者の緊張というものがなければ、市民の声を聞こうとしないのかも・・・・