闇の幻術師の幻想絵巻

闇の幻術師の幻想絵巻

私、自称・幻術師がこさえた幻をUPしたいと思います。
鬼や妖怪の絵を描いております。


火消婆(ひけしばば)

鳥山石燕による江戸時代の妖怪画集『今昔画図続百鬼』にある日本の妖怪。

人家の中の提灯や行灯などの火を吹き消す、老婆の姿の妖怪。陰気の存在である妖怪は火などの陽気を苦手とするため、その火を消す存在が火消婆だとされる。 

 石燕が創作した妖怪の可能性が高いと指摘されており、江戸時代の吉原遊廓の風刺、または性病の恐ろしさを風刺し、年増の私娼をモデルとして創作されたものとの説もある。

なんか日本人なら「日本のルーツはユダヤ人」という日ユ同祖論という説を信じろ、とでもネチズンが言い出しそうな昨今ですが、


秦氏=ユダヤ人について個人的な見解を述べさせていただきたく思います。


まず初めにこれを言い出したのは佐伯好郎という昔の学者さんで、wikiにはこう載っています。

「秦氏=ユダヤ人景教徒」説は殆どが語呂合わせである上に、佐伯は晩年に、弟子の服部之総の「先生はどんな動機から景教碑文研究をはじめられたのでしょうか?」という質問に対し、「ユダヤ資本を日本に導入する志をたてて、そのために打った第一手が大秦氏=猶太(ユダヤ)人の着想であった」と語り、服部を仰天させている。


なのでこの説はかなり根拠が乏しいということが分かります。


で、日本はお隣韓国とか他の黄色人種国家に比べて彫りの深い顔が多いから白人に近い!という言説も見られますが、確かに日本にも彫りの深いエキゾチックな外見の方もいらっしゃいますが、それは古モンゴロイドといって厳密に言うと白人(コーカソイド)では無く黄色人種(モンゴロイド)の一種です。

しかも、古モンゴロイドの形質は大昔から日本に住んでいた先住民・縄文人に多い形質です。言うまでもなく秦氏は朝鮮半島からの渡来人です。


で、じゃあ秦氏は何なのかというと

秦氏は朝鮮半島に存在した新羅という国の仏教を信奉していたとされています。新羅の前身となった国は辰韓といい、実はこの辰韓、中国の秦の遺民が朝鮮半島に逃れて元々あった朝鮮半島の国・馬韓から土地を譲ってもらい出来た国とされ秦韓とも呼ばれたそうです。

だから秦氏は自分達のアイデンティティとして「秦」の国名を使ったんじゃないか、と自分は勝手に考えてます。


ネットでは愛国心あるなら日ユ同祖論を信じろ!みたいな言説を見かけますが、自分達を白人だと思わないと国も愛せないのかと自分はこの説を見る度に虚しくなります。

自分自身が別に秦氏なわけでは無いのですが、自分の先祖も九割九分黄色人種なので先祖は白人だと嘘付いて先祖を否定するような真似は私はしたくありません。


以上です。


大座頭(おおざとう)

鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』にある日本の妖怪。

解説文には以下のようにある。 
「大座頭はぼろぼろの袴と木履を履き、杖をついて風雨の降りしきる夜を徘徊する。ある人がこの者に、どこに行くのかと訪ねたところ、「いつも娼家(女郎家)に三味線を弾きに行く」と答えたという。 」

 妖怪研究家・村上健司は、夜に徘徊している座頭の姿を石燕が異形視し、妖怪として描いたとしている。また妖怪研究家・多田克己によれば、江戸時代には座頭は幕府の庇護のもとで金融業にも携わっていたことから、鬼のように恐ろしい借金取りとしての座頭の姿を描いたものとしている。

文車妖妃(ふぐるまようひ、ふぐるまようび)

鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』にある日本の妖怪。

石燕は巻紙を手に持っている女性の妖怪を描いている。文車(ふぐるま)とは、内裏や寺院、公家の邸宅などで使用されていた書物を運ぶために使われていた車で、失火などの非常時に備えるもの。石燕は「執着の思ひをこめし千束の玉章(たまづさ)にはかかるあやしきかたちをもあらはしぬべしと夢の中に思ひぬ」と記しており、古い恋文が変化した・恋文につもった執念がなったものであると解釈されている。石燕は『百器徒然袋』の妖怪に付けている詞書きに『徒然草』の文章を多く引いており、『徒然草』第72段の「多くて見苦しからぬは、文車の文、塵塚の塵」という一文があり、この「文車の文」から文車妖妃、「塵塚の塵」から塵塚怪王が創作されたと考えられている。 

大鯉(おおごい)

千曲川の主といわれる巨大な鯉。
元はさる温泉旅館で飼われていたが、大きくなりすぎて夜な夜な作り置きの弁当をあさるようになり、持て余して川に放したという。また、比叡山の池に棲む人喰い鯉の話もある。

隠し神(かくしがみ)

日本の妖怪の一種。夕方頃に現れ、遅くまで遊んでいる子供や、かくれんぼをしている子供をさらうといわれる。この種の人さらいの化物の伝承は日本各地にあり、その語彙も様々である。

大蜘蛛(おおぐも)

日本の怪談、随筆、民俗資料などにある巨大なクモの怪異。

寛文時代の奇談集『曽呂利物語』には「足高蜘の変化の事」と題し、ある山野に住む男のもとに夜、大蜘蛛が60歳ほどの老婆に化け、髪を振り乱して襲いかかり、男に刀で足を斬り落とされたという話がある。 

 『狗張子』によれば、京都五条烏丸で、ある山伏が大善院という寺に泊まったところ、夜更けに激しい音とともに、天井から毛むくじゃらの手がのびて山伏の顔をなでたので、刀で斬り落としたところ、翌朝には仏壇のそばに2尺8寸(約84センチメートル)の大蜘蛛の死骸があったという。 

 天保時代の『信濃奇勝録』には、大蜘蛛が人間の生気を吸って病気にさせたという話がある。信濃国(現・長野県)下水内郡飯山に、母子2人暮しの農家があったが、息子が病気になって「クモが来る、クモが来る」と言って苦しむようになった。母親はクモを殺そうとしたものの、クモは病人にしか見えないらしく、祈祷にすがっても効果はなかった。その内に息子を想う母の念の力か、次第に母にもクモが見えるようになり、寝床にいるクモを押さえつけたが、逆にクモの糸に捕えられてしまった。母の苦しむ声を耳にした近隣の人々が駆けつけ、クモを殺して母を救い出すと、それは見たこともない巨大なクモだった。息子は一命をとりとめたものの、血を吸われた上に体のあちこちの皮が剥げ、しばらくは杖無しでは歩けないほどだったという。 

 これらのようなクモの怪異の伝承は、歳を経たクモが怪しい能力を持つという俗信から生まれたものとも考えられている。

袋下げ(ふくろさげ)

長野県北安曇郡大町(現・大町市)に伝わるタヌキ。タヌキが高い木に登り、通行人目がけて白い袋をぶら下げたという。

魁星(かいせい)

中国の道教や民間信仰における学問・文運・立身出世の神様。北斗七星のひしゃくの先端にある4つの星(魁星)を神格化したもので、かつて中国の官吏登用試験「科挙」の受験生たちから絶大な信仰を集めた。

大首(おおくび)

日本の妖怪の一つで、空中などに巨大な生首が現れるというもの。

江戸時代の鳥山石燕の妖怪画集『今昔画図続百鬼』にこの名の妖怪画があり、解説文によれば、お歯黒をつけた巨大な女の生首が雨の夜空に現れるものとされるが、これは伝承上にある妖怪ではなく、実際には当時の破戒僧を風刺した創作と指摘されている。 

 江戸中期の妖怪物語『稲生物怪録』を描いた絵巻『稲亭物怪録』(慶應義塾大学三田メディアセンター、広島県立歴史民俗資料館所蔵)では、物置の戸を開くと巨大な老婆の顔が出現したという怪異が、「大首の怪」の題で述べられている。同物語の主人公・稲生平太郎が顔を火箸で突いたところ、少しも動じることはなく、ねばねばとした感触だったとある。