闇の幻術師の幻想絵巻

闇の幻術師の幻想絵巻

私、自称・幻術師がこさえた幻をUPしたいと思います。
鬼や妖怪の絵を描いております。


大頭小僧(おおあたまこぞう)

日本の妖怪。黄表紙『夭怪着到牒』(1788年)などに描かれている。頭部の大きな子供の姿をした妖怪。

『夭怪着到牒』では「豆腐屋を驚かして豆腐を持って来た」といった内容を作中のせりふとして語っており、特徴的な大きな頭を見せ人間を驚かす妖怪であると考えられる。

日本一幸福度高い県は何年か連続で沖縄県なんだそうです。

ディスるわけじゃないのですが、沖縄は学力と 平均年収において日本で最下位です。でも幸福度日本一ということはこの時点で収入と幸福度は比例するわけでは無いと言えます。


しかし、日本の学校では常に競争することを教え、勉強でもスポーツでもとにかく勝つことを目指すことをみっちり教えられます。


しかし、東大を出て高収入の大企業に入った勝ち組の中の勝ち組のはずの人が過労自殺してしまったなんて話もありました。


自分は正直勝利より幸福こそ人が目指すべきものと思っています。なので、勝っても勝っても幸せになれない勝利主義が強い大和より幸福度高い沖縄の人々の方が人生の参考にしたいと思っています。


世界のGNH(国民総幸福量)の上位の国は北欧に多く「個性を大事にし、人と比較したがらない国民性」が高い幸福度の要因となっています。

沖縄県民もまた「人と比較したがらない県民性」を持っているといいます。これが高い幸福度の秘訣なんでしょうか。


何事も金次第と勘違いさせられる資本主義社会ですが、身を滅ぼしてでも得る金と勝利よりはたとえ負けても人と比較せず単純に幸福な人生を目指した方がいいよなぁ、とつくづく思います。


以上です。


ふらり火(ふらりび)

鳥山石燕の『画図百鬼夜行』、佐脇嵩之の『百怪図巻』、作者不詳の『化物づくし』などの日本の古典の妖怪画にある火の妖怪。


『百怪図巻』『化物づくし』などには、犬のような顔をした鳥が炎に包まれた姿で描かれている。『画図百鬼夜行』による画も炎に包まれた鳥だが、こちらの顔はインド神話の迦楼羅を思わせる。 

 解説文がないためにどのような妖怪かは不明だが、火の化身であり、供養をされなかった死者の霊魂が現世をさまよった末、このような姿に成り果てたとする説がある。


応声虫(おうせいちゅう)

または応声(おうせい)は、中国や日本の説話集・随筆集に見られる奇病、およびその病気を引き起こす怪虫。

応声虫が人体の中に入り込むと、本人は何もしゃべっていないのに腹の中から問いかけに応じた返事がかえって来るとされる。雷丸(竹に寄生するサルノコシカケ科の一種で漢方薬の一つ)を服用すれば効果があり、虫も体外に出るという。 

 腹の中から虫が声を出すという症状を受け、中国では「自分の意見をもたず付和雷同した意見のみを言う者」を応声虫と揶揄して呼んだともいう[1]。

古杣(ふるそま)

四国に伝わる怪音現象。音のみの妖怪とされることもある。また、同様の怪異が日本各地に伝承されている。

高知県土佐郡、香美郡、幡多郡、長岡郡、徳島県祖谷山などで、山を生活の場としている地方に伝えられている。 

樵(きこり)たちが仕事を終えて山を降りた後、夜中に山の方から「カーン、カーン」と木を切るような音や木を挽く音が聞こえ、やがて「バリバリバリッ」「ドーン」と大木の倒れる音がする。これを聞いた人々は、なぜこんな夜に木を切るのかと奇異に思い、夜が明けてから山に入り、音の響いた辺りへ行って見るが、木を切った跡も倒れた木もどこにもない、というものである。

置行堀(おいてけぼり、おいてきぼり)

本所(東京都墨田区)を舞台とした本所七不思議と呼ばれる奇談・怪談の1つで、全エピソードの中でも落語などに多用されて有名になった。置き去りを意味する「置いてけぼり」の語源とされる。亀戸(東京都江東区)を舞台とすることもある(江東区立第三亀戸中学校のあたりなど)。

江戸時代の頃の本所付近は水路が多く、魚がよく釣れた。ある日仲の良い町人たちが錦糸町あたりの堀で釣り糸を垂れたところ、非常によく釣れた。夕暮れになり気を良くして帰ろうとすると、堀の中から「置いていけ」という恐ろしい声がしたので、恐怖に駆られて逃げ帰った。家に着いて恐る恐る魚籠を覗くと、あれほど釣れた魚が一匹も入っていなかった。

古椿の霊、古山茶の霊(ふるつばきのれい)

日本各地に伝わるツバキの怪異。

鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』によると、老いたツバキの木に精霊が宿り、怪木と化して人をたぶらかすとある。こうしたツバキの怪は文化時代から文政時代にかけての怪談流行時において広く知られており、民間伝承が多く残されている。 

 現代においても、ツバキは花の落ちる様子が人の死を連想させるため、入院患者への見舞いの花には禁物とされている。このように花につきまとう怪しげなイメージが、妖怪伝承の生まれるもととなったとの説がある。

もう今年もあっという間に5月ですが、川崎市の野川神明社に参拝しました。


この神社は牛頭天王(ごずてんのう)と同一視されるスサノオノミコトも祀られていて、牛頭天王を祀る天王祭という祭もあるので、牛頭天王と縁が深い神社です。

というわけで、この神社では牛頭天王にお祈りしました。






5月でここまで暑いなら、真夏はどうなってしまうのだろうと少々不安になりました。(笑)

以上です。

  

日本は弱者に厳しく、死者に優しい文化といいます。


戦時中、10代の若者が特攻され「桜に生まれ変わって、また会おう」なんて考え方もあり、日本人としては凄い感動的に感じるかもしれませんが、冷静に客観視してみたら青春真っ只中の若者が愛する自国に殺されるわけです。ひどく人命軽視文化と言えます。

重傷の兵士には自決を要求したということもあったそうで、当時の米軍を唖然とさせたらしいです。


何年か前、テレビ番組に出演した女子プロレスラーさんがSNSでひどい誹謗中傷を受け自死してしまいました。

正直死んでなかったら今もそのことをネチネチ言い続ける人もいたんじゃないかと思うと、この文化にゾッとします。


キリスト教ではこの日本の文化とは逆で、弱者に優しく、死者(自死者)に厳しい文化だそうです。

ホームレスに炊き出ししたりして弱者を支援し、「自死は殺人と同等の罪」という思想が古くからあり、昔は自死者には葬儀すらあげなかったそうです。

日本人の感覚だと自死者は可哀想なのでこれはひどくないか?と思うところですが、実際キリスト教やイスラム教の国では自死が少ないそうです。この考え方が自死を抑えてくれていると言えます。


日本も死んだ後の人にいくら優しくしてもどんなに願っても死んだ人間は帰って来れない、だから今正に死に近しい弱者を助けて死を減らそうという考え方が出来れば自死は減るんじゃないかと思います。


以上です。


笈の化け物(おいのばけもの)

かつて足利直義の館に出没した妖怪。背負い収納の笈の上部から人の顔が覗き、折れた刀を口にくわえた姿をしているという。