第13話  「SHOGUN」のMr.ケーシー・ランキン | 〜スマートクラッチ輸入総代理〜ロックンロール社長のブログ

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音楽とビジネスの融合を目指す会社、(株)ジーニアス インターナショナル 代表、ロックンロール社長のブログです。

軽い気持ちだった。

そう、それは あまりにも軽い気持ちで応募したんだ。

去年、地区大会で敗れた ヤマハの「バンド エクスプロージョン」


『 金網越しの DOWN TOWN 』LIVEが終わって、バンドが再び活気づく目標が欲しかった。
渋谷の道玄坂を昇った所に、ヤマハの渋谷店があってね。そこでコンテストの用紙を貰って応募したんだ。

「今年は宮地楽器からは出ない」って決めてた。

まったく知り合いのいない所からはじめて、自分たちがどこまで通用するのか 試したかったんだよ。

そうだ、申し込み用紙の年齢を書き込む所に 「ウソ」を書いたの。
一番若いヤスコ クイーンが二十二歳の時だから・・・・平均年齢は二十代の半ばを超えていた。
特に オレとレイ ギャングは、ギリギリで二十代を保っていたからね。
コンテストに出るには、少し歳がヤバイと思ったの。

「年齢なんて関係ねぇよ。いいものはいいんだ」

そう信じてる。正論でしょ?
でも あの頃。この国のシステムは、どうもそうじゃなかった。
「そんな事ないよ」って表面上は言うよね。でも、現実は・・・・・そういう経験してる人も多いと思うけど?

異常に恐れてたんだよな、大人になるのを。
確かに 見廻せば・・大人ってツマらないように見えてしまう。

朝から晩まで会社に縛られて、家庭なんて あって無いようなもの。
幸せの価値を考える暇もなく 満員電車に揺られ、休みになったら また渋滞の中を故郷に帰る。

あるいは。どっかの政治家みたいに、ずうずうしくて、「どけどけ」って割り込んできて、豪傑ぶる。

「今の日本は、俺たちが作ってやったんだ」

って 胸を張るけど、全てが 金と会社優先の世の中じゃないか。 幸せなんて、どこにある?

社会で勝ち残るために、「おれが おれが」ってガツガツしてる奴ばかりが偉くなって。あさましく感じたり・・・地獄の亡者みたいにね。

今は、ちょっと変わってきたかな。もっと人間らしいことが大事になってきたような気がする。いい方向に進んでるよね、きっと。

でも、あの頃の日本って・・・バブルが始まってたんだ。
浮かれてた。軽薄だったし。子供にばかりスポットが当たって、というかみんな子供みたいにバカやって。くだらないことに金使って。

なんとなく そういう空気を肌で感じていたから。
メンバー全員が五歳ぐらいづつ サバをよんで、平均二十三~二十四歳のバンドが出来上がった。

「フフ・・・・面白いじゃん、これ」
ヒカルが笑いながら言ったけど、ヤスコ クイーンなんかは、

「ひどぉーい。あたしと他のメンバー、ほとんど年の差無いじゃないですかぁ」

年齢が一番下だけど、そういうことを感じさせない凄いプレイをする。それがクイーンの誇りだった訳だから。
あいつは納得しない顔をしてたよ。


ヤマハの渋谷店っていうのは、ヤマハ直営の店でね、すごく力があった。
だから、店の代表として四バンドか五バンドぐらいを地区大会に送り込んでいたんだ。

その分、出場バンドも多くて、店大会の予選から本選まで 何日にも渡ってオーディションが繰り返された。
ハードルが高かったんだ。
でも。
オレたちは、そのことごとくを すんなり通過した。
当たり前だ。今まで何度となく、悔しい思いをして 自分達の足りない部分を突き付けられ、それを埋めてきたんだ。

「今さら こんな所でウダウダしてられるか」

そんな自信とプライドがあったね。あり余る程のプライド。

店大会はもう 去年経験した通過点にすぎない。今、目前の目標は まずエピキュラスの地区大会で優勝し、中野サンプラザに出場すること。店大会なんて、ブッちぎりで代表になってやる、と思っていた。去年、オレたちが衝撃を受けた、宮地楽器の代表バンドクラスが出てきても なぎたおして進むだけだ。

オレたちのライブ審査が終わってトイレに行くでしょう? 立ちションしてると、他のバンドが隣に来て、

「いやあ。カッコ良かったですよ。凄いなあ」

って必ずほめてくる。

「いやあ、それ程でもないよ。お互いガンバロウ」

そう言いながら、確実な手応えを感じはじめていた。


その店大会の審査員をしていたのが、「ケーシー・ランキン」さんだったの。

昔、松田優作の「探偵物語」っていうドラマがあって。
その主題歌を ケーシーさんのいた「SHOGUN」っていうバンドが歌っていたんだ。

オレ、その時 まだ子供だったけど、強い衝撃を受けた。
それまでの日本に無かった、外国のフレーバーを持った 聞いた事もないようなサウンド。ショーグン。

「バッド シティ  バッ バッ シティ・・・・」
流行ったでしょ?

そのケーシーさんから 話しかけられたんだ。休憩時間に。

「君タチ、イイネエ。長イノ? バンド」

非常にフランクな人でさ、気さくなんだけど オーラが出てる。
そこに居るだけで、雰囲気になっちゃうんだよ。

「うわぁ、あのSHOGUNの ケーシーさんに話しかけられた」

って感じで、その時は 何話したかよく覚えてないんだ。でもすごく楽しかった。
実際には、短い時間だと思うけどね。

で、オレ達は、店の代表に選ばれたの。
店側としては、他に押しているバンドとかがいて。最初 あまり歓迎ムードじゃなかった。

でも実力の世界だから。勝ち残って地区大会に行くことになった。
今年こそ、昨年の雪辱をはらしたい。

あっ、今思い出したけど、店の決勝まで進んで 最終的に落ちたバンドの中に、「池田貴族」のリモートってグループもいた。真っ赤なコスチューム着て 表面ツッパってるんだけど、待ち時間とか、妙に人が良さそうに おどおどしていて。

何年か前に、ニュースで彼が亡くなったのを知った。
ガンだってね、まだ若いのに・・・・・
冥福を祈る――――


店代表メンバーを集めて、パーティーを開いてくれて。
えらく盛大に送り出してくれたんだよ。

ヤマハの渋谷店の人たち。


人生って、追い風を受けて すごく順調な時ってあるじゃない?
この時期のオレたちがそうだった。

何だか 負ける気がしないんだ。

エピキュラス大会、何日にも分かれて 細かく振るい落とされていく。
実力も個性もある いいバンドがどんどん姿を消していく中で、ジーニアスは勝ち残っていた。
去年の屈辱的敗北のあと、一流のミュージシャンたちのコピーをすごくやって。
吸収していたからね。ロックのフィーリングってヤツを。

それに「 金網越しの DOWN TOWN 」ライブで、ファン自体も盛り上がっていて、客席で応援してくれる雰囲気もすごくいい。

店側の期待も高まってきて・・・・

「プロのミュージシャンを呼んで、バンドのクリニックを受けさせてあげる」

って話になったんだ。有名なプロのミュージシャンのアドバイスをもらうことによって、さらにバンドが強化する。
アマチュアな部分がけずれて、隙がなくなるんだ。

「サザン オールスターズも、そうやって“勝手にシンドバット”を完成させ、デビューしていったのよ」

「へー、そうなんですか?」

「大抵の人は呼べると思うけど、誰がいい?」

有名人に会えるかと思ったら メンバー、ざわついちゃって。

「そうですねぇ・・・・」

他のメンバーが考えている時、オレの答えは もう決まっていた。

「無理かも知れないけど、又 ケーシー・ランキン さんにお願いできませんか?」

って言ったの。どうしても もう一度、会いたい。あの人の音楽センスを吸収したい。

連絡してくれて、再会したよ。

「ヤア、ジーニアス。キミタチ、行クトオモッタヨ。マダマダ 行ケルヨ。ブドウカンマデネ」

アハハって笑った。

「ケーシーさん、そりゃ いくらなんでも無理ですよ。武道館なんて。オレたちは サンプラ(中野サンプラザ)まで行ければ、今年の目標はクリアですから」

みんな和やかに笑ったんだけど、

「イヤ、ジーニアス ナラ ブドウカン行クヨ」

って、しつこいの。

まさかな、とは思ったんだけど。

「ジャ、チョット 音キカセテ」

エントリー曲を演奏した。

「ウーン。イーンジャ ナァーイ ノー?」

ケーシーさんがおどけて言ったから、皆の緊張もほぐれてさ。

「アマリ 直ストコロハ ナイネ。デモ、コーラスハ ヘタダナ。ロックバンド は コーラスヲ大事ニシナイ人ガ多イケド、ハーモニー ハ 大事ィヨ」

ハモリを教えてもらったり。細かい所もチェックしたけど、十分ぐらいでクリニックは終わっちゃった。
二時間ぐらいスタジオを取ってあったからね、時間 すごく余っちゃって。
話をしてたんだけど、

「オリジナル、タクサン アルノ?聞カセテヨ」

ってことになった。

「コレカラ ボク ダケノ タメノ LIVEネ」

ケーシーさんは、パイプイスをスタジオの真ん中に置いて、そこにどっかりと腰を下ろした。

「ギャイーン」

「ジャーン、ドス ドス」

スペシャルな観客のためのコンサートがはじまったんだ。

オレたちは、山ほどある曲を演奏した。オリジナルを次から次から聞かせた。
結成してから、何百というステージをこなし、何万という人の足を止めてきた。

失望し、立ち直り、希望に向かって走り、又 失望し、立ち直る。
そんな暮らしの中で手に入れた オレたちのサウンドは、果たしてケーシーさんの心にどう響くのか?

うねるグルーブに乗って、自然に歌える。
心地よい緊張感。
サウンドが時を支配し、時は駆け足で過ぎていく―――


「・・・・・・・・」

「フーウ。スゴいジャナイ。マトマッテルヨ。結成シテドレグライ?」

たった一人のためのコンサートが終わった後、ケーシーさんは胸いっぱいに溜まった 何かを吐き出すように質問した。

「・・・・アー、ヤッパリ・・・ソレグライ ヤルト 音がカタマルネ・・・・スタジオモ アルノ?  へー・・・・モウ ドッカカラ オ呼ビ カカッテル?」

レコード会社が決まっているか? っていう意味だろう。

「いえ。まだ ぜんぜん。オレたち 業界の人たちには、あまり好かれないバンドみたいで」

本音を言ったんだけど、アハハと大声で笑われて。

「ジャ、モシヨカッタラ、ウチ クル?」

ケーシーさんは、レコーディング プロデューサーもやっていて、自宅にスタジオと事務所を持ってるんだって。

「コンテストが 全テ終ワッタラ、ウチに遊ビニオイデ。ソコデ モシ 良カッタラ 委任状契約ヲ交ワシマショウ」

つまり、ケーシーさんのプロデュースで デモを作り、レコード会社を決めてデビューさせるっていう契約ね。

「ウワァー」

って皆、天にも昇る気持ちだよ。まだオーディションの途中なのに、スカウトされて。しかもプロデューサーは、あの ケーシー ランキン。

「やったー、ついにここまで来た」

最近 ちぐはぐだったメンバーの気持ちも、一気にまとまったんだ。


そうして 運命の日は、やってきた。



= つづく =


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次回配信は6月2日を予定しています。 
第14話  グランプリ! 
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その後、長きにわたり ジーニアスの最高の理解者となり、kaz のプロデューサーとしてさまざまなサポート、何十曲ものレコーディング、売り込みをしてくれた恩師 ケーシー・ランキンはもうこの世にはいない。「必ず kaz を世の中に出す」と言ってくれたことを胸に、その言葉が今もオレの音楽を続ける原動力になっているのは間違いない。生きている時、ついにその恩返しをすることは出来なかった。しかし、オレの胸にはケーシーさんが生きつづけていて、決して忘れることはないだろう。

彼の代表曲、Bad City を松田優作主演のドラマ映像をバックにお聞きください。

https://www.youtube.com/watch?v=3S7u09Ro-h4

レイギャングとケーシー・ランキン(彼はいつも笑顔で笑いをふりまいてボクらを笑わせていました)




ロックンロール・ジーニアスのステージに乱入してきた ケーシー・ランキン
セッションも、何度やったことか・・