トッシーのブログ

トッシーのブログ

思いついたことどもを写真とともに語る。

          トッシーのブログ
$トッシーのブログ
Amebaでブログを始めよう!

昭和51年ころ買ったOM1。

ニコンをかうつもりでカメラ屋に行ったんだけれど、持ち合わせが足りなかったものだから、店の人にあれやこれや聞いてみた。

 

今OM1が人気で売れてますよ。ふつうの一眼レフに比べて、ちょっと小ぶりだから持ちやすいし、機能もいいですよ。ということで0M1を買うことにした。

 

小ぶりだから、持ちやすくどこに行くにも持って行った。もちろんむき出しのままで・・・。だから、あちこちぶつけたり、擦れたりしたけれど問題なかった。

レンズは150ミリズームを買った。たぶん50~150だったと思う。一本のレンズで50~150ミリまで使えるから便利かなっと思っていたけれど、意外と使いにくいことに気が付いた。持ち歩くのにもちょっと長すぎて持ちにくい。というので、何年かしてから、28ミリを買った。

 

このレンズはすごく使いやすく、持ち歩くのもOM1としての特徴を十分発揮してくれた。それ以来今日に至るまで28ミリが付いたままになった。

 

小さいレンズはマクロレンズ。時たま接写で撮りたくなるので買った。

 

ほとんどモノクロで撮っていた。トライエックスの太巻きを買って、バトローネに詰め替えて使っていた。

今となっては銀塩カメラもすたれてしまった。

 

今は携帯で間に合ってしまう。なんか便利だけれど、なんでも簡単にできてしまって味気がない。とは年寄りのたわごとかなっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和56年頃上海で買った。

日本にもあるだろうと思ったけれど、持って帰るには重たいけれど、無理して買ってきた。

 

高台のなかは「景徳鎮」とある。本当だったら、篆書で「景徳鎮製」となっていてほしかった。最近は景徳鎮だと思われるものも「maid in china」になっているから、まあいいか・・・。

 

この柄は、急須や小さな鉢の類では見るけれど、ラーメンにぴったりの丼は見たことがない。単なる見落としかもしれないが…。

 

計5個買ってきた。割れ物だから結構気を使った。

厚さもちょうどいいし気に入っている。ラーメンは必ずこの丼になる。

 

 

 マイスターシュテュック#146   #149
 
細いモンブラン#146は昭和52年に買った。
何の気なしに買ったのだが、使ってみると、使い心地がすごくいい。
ペン先は細(F)
 
そんなこんなで、次の年太いモンブラン#149(B)を買った。これも使いやすい。
しかし、次第にボールペンが主流になっていった。
だから、万年筆を使うのは年に数回くらいになってしまった。
 
そんなんで、細い方はしまってしまい、太いものだけ手元に置いて、使うようにした。
機械もの(これは機械ではないけれど・・)は使っていないと調子が悪くなる。やがて、だめになってしまう。
だから、カメラでも無線機でも何にしろ使ってあげないといけない。
保守点検が必須事項だ。
なかなか手間がかかる。それがいいのかもしれない。
 
 
 

 

特別コインや紙幣をコレクションしているわけでもないが、
引き出しを開けたら、とっておいたコインが見つかった。
なので記憶をたどってみたが、どうも思い出せないものもある。
 
東京オリンピックの記念硬貨
いとこが「東京オリンピックの記念硬貨、あげるわよ」と言ってもらった。
いとこは面倒見がよくって、いろんなものを買ってもらった。
こげ茶のダスターコートを買ってもらった。かなり気に入って袖口がほつれるまで着た。
そうなるとなおのこと良くって、始終着ていた。体にもぴったり合って着やすかった。
ところでコイン、触らないで引き出しにしまっておいたんだけれど、銀さびではっきりと見えなくなってしまった。
かなり大きくて重たい。
 

鳳凰100円
この100円銀貨はかなり気に入っている。
鳳凰のほうを表面にして、コインローファーの甲の部分に入れていた。
だから、ところどころ汚れている。
銀の含有量が100円の中で一番多いといわれたのだが、果たしてどうなんだろう。

 

稲穂100円

これもかなり気に入っている。

 

穴あき50円と穴なし5円
穴なし5円は、子供の頃よく使った。

5円玉は、紙芝居を見るときに、よく持って行った。

 

天皇陛下在位60年の記念銀貨。

10000円パウチに入っているから綺麗だ。

 

胡開文の墨。清時代のものだというので、古墨ということになる。
これは、中国の友達にもらったもの。
文化大革命の荒波を潜り抜けてきた墨になる。
 
友達は、いろんな文物を持っていたが、文化大革命で供出させられ、
残ったものは、これを含め数個になってしまったらしい。
彼の父親は、毛沢東と長征でともに回り、だいぶ苦労したんじゃないかと思う。
彼は書道、篆刻に造詣が深く、
真面目でコツコツと自分のすべきことを行っていくタイプだ。
以前「玉の文鎮」https://ameblo.jp/genh7a/entry-12465684725.html
で、玉の文鎮をもらったのも彼だ。

そんな彼から譲られたものだから、大事にしていきたい。
 
 
 
 
 

これも前回同様、昭和55年中国大連にある大連市場で買った物だ。
この当時、ホテルに泊まると、必ず花柄の赤いマホービンが机の上に置いてあった。
デパートなどに行ってもこの魔法瓶ばかりだ。中国では生水は飲まない。
必ず湯を飲む。そんなこんなでかなり流行っているのだろう。
 
ホテルで女子の服務員が、竹で編んだ魔法瓶をもって歩いていた。
自分達用に使っているようだった。
 
昭和55年当時、女子の服務員は、ズボンに人民服、それに帽子をかぶっていた。清楚な感じがした。
彼女たちが、一本二本と竹で編んだ魔法瓶を持ち歩いていた。
給湯所からもらってきたものらしい。
彼女たちは、生水は飲まないかわりに、よくお湯を飲む、ちょっと贅沢をすると花茶を飲む。
 
大概コップは、リンゴジャムなどの空き瓶に、ビーズで編んだものをまきつけていた。 
少女心のおしゃれに違いない。そして、蓋があるから蠅などがとまらないから清潔でもあるらしい。
 
ところで、彼女たちが持っている竹籠の魔法瓶が、なんだか良く見えた。
欲しくなったので、通訳に案内してもらって大連市場に行った。
そこには、ホテルにあった魔法瓶、そして竹籠の魔法瓶が置かれていた。
竹籠のほうが数段安かった。でもかっこよかった。
通訳に「花柄のほうがいい」とたしなめられたが、竹のほうを買った。
 
この竹籠マホービンは、今ではきっと売っていないだろうと思う。
ハイテクが進んだ中国で、人の手で竹籠を編んだら手間ばかりかかって、ずいぶん高いものになってしまうはずだ。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

清水市の七夕

最終日

暑い日だった

こういう看板形式のものが増えた

やはり、清水市はちびまる子ちゃんだ

 

風船に少し水が入っている「ヨーヨー釣り」が

なかった

代わりにスパーボール掬いがあった

 

昔ながらのお面

 

竹でできた椅子です
昭和55年中国大連にある大連市場で買った物です
かなり使ったので 飴色に光っています
座る部分は弾力があり 座り心地は良いようです
 
夏場は卓と椅子にしていますから 卓の下において足を乗っけるものにしています
結構足が楽になります
 
冬場はこたつにしていますから 子供たちが来たときはこれに座ってこたつに入ります
子供たちもけっこう気に入っています
そういうわけで 今日まで残ったんですね
 
中国は竹製品が多い マホービンも竹の網で編んだものが売られていました
 
木で作った製品は比較的少ないですね 
中国全土見まわったわけではありませんので いい加減なことは言えないのですが
北はあまり木がありません 南は結構木があります
 
本で読んだことがあるのですが 春秋時代戦争するのに木を片っ端から切り倒してしまった
なぜかというと この時代戦争するのには
戦車(馬にひかせた馬車)を使っていた だからこの戦車が通れるように木を切ったんだということです
 
また 冬場の暖をとるために木を切ったという説もあります
 
どれがほんとうかはわかりませんが ちょっとわかるような気がしたりもします
 
ところで この竹の椅子 中国でもこういうものはもう売っていないかもしれません
竹の網にくるまれたマホービンを買った時も 通訳が「なぜそんなものを買うんですか アルミ製の綺麗な絵のついたものがあるじゃあありませんか」
とたしなめられた 
今 大連はビルが立ち並び大都会になってしまっている
 
 
今は たまにしか座っていない
部屋の飾りとなってしまった
2年ほど前までは これに座って音楽を聴いていた
今 椅子があるところに右側のスピーカー 反対側に左のスピーカーを置いていた 
だから ゆったりしたときなどは これに座ってビル・エバンスを聴いた

今は スピーカーやアンプはない
 
最近は 音楽を「聞くぞ~っ」といって聞くことが少なくなった
オーディオの機械を もてあまし気味になったと言うことなのかもしれない
だから 最近の好みの聞き方は 小さく聞こえる音量で聞くのがよくなった
「あー 音が出ているんだっ」と言うあんばいにねっ
 
そこで ずっと使っていたスピーカー・アンプ・CDデッキ・ダックなどをやめて こじんまりした「チボリオーディオ」にした
毎日 小さな音で鳴らしている
 
こういう聴き方は静岡丸子にある「家具屋さん方式」と かってに呼んでいる
その店は 古民家をほぼそのままに椅子や卓を置いている店で
店に入ると静かだが 各セクション毎に音楽が小さく鳴るっている
 
ここの店主は オーディオか好きで 各セクションごとにKlipsch Klipschornではジャズが タンノイではバッハの無伴奏チェロソナタを
というふうに 小さな音で鳴らしている 邪魔にならないからいい
 
ところで この椅子 気が向くと座って本などを読んでいる

 

 

左側の靴型(ペン型)インクボトルは(インク容量58ミリリットル)昭和52年ころ買ったもの
その後右側の靴(60ミリリットル)のような形に変わってしまった
靴型(ペン型)インクボトルが3本ほど出てきたから 何年かはこのインクをつかったんだろうけれど 何年かははっきりしない
 
そのうち万年筆は使わなくなってしまった
ボールペンのほうが何かと便利な物になってしまったからだ
だから 万年筆の中のインクも干からびてしまった
インクボトルには 少しインクが残っていた
厚手のガラスびんは なんとなく趣があから
捨てられないで 今まで残った
 
小さい頃からガラスに対する思いは強い
海に行くと 波に洗われたガラスが落ちていた
透明 青 緑 何れも波に洗われ角が丸くなっていた
 
どうかすると 道端や原っぱに10センチほどで 甘いにおいのするガラスの破片が落ちていた
ビニールのような物が サンドイッチになっていた
どうも フロントガラスだったらしい
甘いにおいのするガラスで 子供うちでは宝物にされていた
 
そして 駄菓子屋にあるガラスの入れ物
薄いアルミニュウムの蓋がしてあった
蓋を閉めるときには 乾いた音がした
 
というので 大人になっても どこかガラスに惹かれるところがあった
 
だからオーディオでも 真空管がよかった
中でも出力管KT88、6550、6336Aなどの形が美しいと思った
6550は青く光った だからビーム管なんて言ったりもした
6336Aはほの暗く光ったけれど 夏には真空管の熱で部屋が暑くなった しっかり働いているんだなと思った
だから いくら音がよいトランジスターでも ガラスでできた真空管にはかなわないだろうと思ったりもした
見ているだけでもほれぼれした 子供の頃のいいにおいのするガラスと同じだった
 
最近 あまり見ないのが 磨りガラとダイヤモンドカットのガラス板だ
子供の頃はどこの家庭も 磨りガラス ダイヤモンドカットのガラスがはめられていた
なんだか昔懐かしいガラスになってしまった
 
だから、どうもガラスにはとくべつな思いがある