こんにちはニコニコ


フェイジョア

果実は次男くんのお気に入り


私は、最近、自分の「怒り」の感情に蓋をしようとする癖があることに気づきました。だだ漏れでしたが…キメてる


だから、息子くんたちや旦那が「怒り」をあらわし、私にぶつけてくると、私までイライラするんだなと。


私はムカついても我慢するんだから、あなたも我慢しなさいよ!」と。


幼い頃、父が、父の思うように動かない母に「怒り」をぶつけている姿をみて、そして、「怒り」をぶつけられた母が発狂している姿を見て、とても「両親に対する怒り」を感じていたのを覚えています。そして、親にそのような感情を抱いていることがいけないような気がして、蓋をしていました。


「怒り」を自分で感じることと「怒り」を人にぶつけることはぜんぜん違うことで、「怒り」を感じることは、「なぜそう感じるのか?」と自分を知ることにつながるから、とても必要なことだと、今、思うようになりました。


子供の頃の私に、今の私が、「怒り」を感じてもいいんだよ。それも私だよ。と言ってあげよう。

「怒り」は「不安」だよ。私は「不安」だったんだよ。その「不安」は小さい私では対処できなかったよ。心配だったね。我慢していたんだね。自分を責めたりしていたんだね。泣いていいんだよ。と、言ってあげよう。


人の「不安」は私がどうにか出来るものではないよ。その人に任せなきゃ。私に出来ることは、そのままの私でいることだよ。


随分前に読んだ宮部みゆきさんの本です。主人公が自分の「怒り」を否定する場面があります。自分の「喜び」「楽しみ」「悲しみ」だけでなく、「怒り」も認めることが自分を認めるということだと、今、思いました。

…私、成長している!ニコニコ