元広島の黒田博樹投手は非常に紳士的な選手として知られ、審判に抗議することなどはほとんどなかった。
その黒田がヤンキース時代に、たった一度だけ審判にブチ切れたことがある。
8回2死までほぼ完璧なピッチングを繰り広げ、この打者を抑えれば先発の仕事を完遂、という場面で迎えた敵チームの主軸。
2ボールからの3球目、148キロのシンカーが真ん中低めに決まったように見えたが判定はボール。
直後に左翼線二塁打を許し交代する際、ベンチへ戻る黒田に球審が声を掛けた。
「たかが1球だろう!」と。
この一言にブチ切れてしまったのだ。
「こっちはその1球を投げるためにたくさん調整して、いろんなデータを取っている。それを軽く言われるのはちょっと…」


閑話休題。今回のウザク本パクり案件。
「たかが何切るくらいで…」と思う人も、もしかしたらいるかも知れない。
しかし、たった一問の何切るを生み出すためにどれだけ心血が注がれていることか。

牌姿を起こすところから始まり、
シミュレーションにかけ、
複数の専門家に検討を依頼し、
例外がないかを確認し、
巡目やドラも再確認・再調整し、
少しでも短くてわかりやすい解説文に腐心し、
その上で更に、「商品としての何切る」たり得るかを再確認する。

これだけのことをして、やっとウザク本の何切るが生み出されているのだ。
いや、これはあくまでも私の想像に過ぎず、実際には更に数多くのチェック項目が存在することだろう。
これだけ心血を注ぎこだわり抜いた作品が丸々コピペされ、あまつさえ全国の書店に堂々と並んでいるとしたら…
そして、それがなあなあで済まされてしまうとしたら…
著者はいったい、心のやり場をどこに持っていけば良いのだろう。
お金で誠意を見せるのはもちろん大切なことだと思う。
でも、それ以上に大切なのは、自分たちが軽い気持ちでコピペした作品を作り上げるのに著者がどれだけのリソースを注ぎ込んだかを理解し、そこに対するより一層のリスペクトと謝罪の意を表すること。
これではないだろうか。

断じて、「たかが何切る」ではない。