江戸時代の民衆は高い識字率を持ち、その知的水準は世界的にも高く、高い文化を育んだ
では、その民衆の力を抑え込むことに腐心した支配層は、どういう生活をしていたのか。その様子を幕府トップの暮らしぶりから見たいと思います
2021.10.23発信の続き
↓
第11代将軍・家斉を尾行!
(参照は樋口清之著『逆・日本史』)
第11代将軍
家斉(いえなり)の1日
(1773~1841)
朝7時起床
居間の中奥
(大奥の時もある)
起床すると、小姓が畳に敷いたペルシャ敷物へ置いた湯で自ら顔を洗う。顔を拭くのは小姓の役目だ。
洗面を済ませ羽織、袴に着替えて
大奥へ入る
仏壇に礼拝した後、母親に挨拶し御台所と対面し話を交わしたりする。
小座敷へ戻る
御小座敷に戻り月代(さかやき)や髭を剃らせ髪をすき結い直す。
月代(さかやき)
朝食
朝食は300m離れた料理方から運ばれてくる。メニューは365日同じ。鱚(きす)は決まりの魚で、焼き二匹と煮た二匹、豆腐の味噌汁、おひたし、漬物。御膳が着いた時には冷めている。
昼食の注文
将軍が注文できるのは1品のみ。御膳奉行が許された材料から作る。野菜や海藻類、魚介類と干物、肉は鶴・雁・鴨・兎のみ。果物は膳で見るだけで箸は付けない。天ぷらや油揚げや納豆などはない。「まるで栄養価の高い食品を選んで除いているようだ」(著者)。
昼食休憩
↓
学問と武道
林大学頭から『四書五経』の講義を上段から降り慎んで聞く。聞くのみ。武道は稽古着に替え竹刀を手に道場へ。竹刀で床を三回叩けば終わり。
午後2時~
政務
御納戸頭が未決書類を読み上げるのを聞いて、頷くか首を横に振るだけ。首を動かさなければ可決。居眠りをしている時が多かった。死刑は将軍の直裁だが、居眠りの首の動きで決まるのだから酷い話だ。未決書類が増えると3人が同時に読み上げるという狂気の沙汰。ゆえに実状は老中や大老の思いのままだった。
午後4or5時~
夕食
御膳奉行が持って来た長いメニューから自由に注文する。家斉はなぜか生姜をよく注文した。冬に採れない生姜を冬に食べたいと言う。困った御膳奉行は板橋宿一帯に芽生姜を栽培させ、その地を無税として切り抜けた。
将軍はだいたいが偏食
栄養のバランスが崩れ
どこかオカシくなる
将軍がそうだった
↓
趣味の時間
歴代将軍の趣味は絵を描くこと。家康を除いて将軍みんな悪筆だが絵は上手い。家斉は大奥で七面鳥をペットにし、七面鳥の絵を描いた。だから七面鳥の真似が上手く、両手をバタつかせては大奥を駆け巡ったようだ。頭の調子が普通ではない。
夜の寝室
大奥の御小休所へ
将軍は子沢山。中でも家斉は54人もの子どもをつくった。側室の定員20名は有名無実。すると、受胎した子どもが同時に産まれると世継問題の恐れが生じる。そこで設置されたのが…
↓
受胎の記録係
夜の添寝制度
大奥にある20畳敷の御小休所。中央に将軍と側室の床。その部屋の隅に床を敷き御添寝の中臈(ちゅうろう)が寝て、将軍と側室の睦言を盗み聞きする。さらに、その隣室に老女と別の中臈が、寝ずの番で聞き耳をたて、寝室の様子を窺う。
翌日の朝
将軍と床を共にした側室と御添寝役の中臈が、老女に寝室内の出来事を報告する。老女はこれを文書にして若年寄に提出、若年寄はこれを閲覧して保存する。
この文書が国会図書館に残っている。「昨夜は格別の御打解(おうちとけ)にて、□△◇のお話これあり、○回おたわむれこれあり候」と書かれ、老女と中臈の署名がある。
↓
将軍は血統を絶やさない
種馬に過ぎなかった
家斉に説教した
老中・松平定信
著『宇下人言』
偏食はいけない、贅沢はいけない、セックスの回数を制限せよ、あまり女を近づけるな。
↓
家斉に効き目なし
幕府の傾いた財政は
回復の見込みなく
家斉はヤケのヤンパチ
青い足を持った、アオアシカツオドリ。
— 世界の驚くべき生き物たち-スマホケース販売中! (@jamafra1243) 2021年10月31日
なんだか動きが可愛い!足を交互に持ち上げるのは求愛行動。メキシコからペルーにかけての太平洋沿岸に生息。pic.twitter.com/7xCBVgpTjK
頑張ったねぇ
↓
https://twitter.com/netgeekAnimal/status/1454834673838800897?t=zdBS-vBfXNuKz2kCGHDHTQ&s=09