ホテルはベルリン中央駅の真向いのビジネスホテルです。部屋は小さいですが、必要なものは何でもそろっています。相変わらずベルリンはあちこちが工事中でホコリっぽいのが、コンタクトレンズ愛用者泣かせです。

 

しかし空は真っ青の快晴で、梅雨の走りのような日本の湿度の高い日々を思うと別世界です。私はホテルから出ると深呼吸し、中央駅にスーパーマーケットが無いか見に行くことにしました。水と、果物でも買ってリフレッシュしよう!

 

中央駅は、たくさんのお店もちゃんと開いていて、大小のスーツケースを持って歩く多くの人でにぎわっています。半分くらいの人はマスクをしていますが、していない人も多い印象です。オミクロン株は感染しやすいと聞いていますし、油断しないよう、マスクを二重にして消毒薬のボトルもバッグに忍ばせてあります。なるべく人と近づきすぎないようにうろうろと歩き、ウィンドウショッピングをしながら、いつの間にか駅の反対側の出口に着きました。

 

一歩外に出て、私はあまりの衝撃に足が止まってしまいました。そこには悪夢のような光景が広がっていたのです。

 

出口を出てすぐのところに、初老の男性がリュックサックを背負ったまま倒れていて、救急隊の人たちが声をかけたり手首の脈をみたりしています。広場のあちこちに、荷物一つを持って座り込んでいる人たち。リンゴをスプーンみたいなものでほじくりながら一心に食べている高齢女性。皆、長いことシャワーを浴びていない様子で、顔や手が汚れているのが見えます。そして皆、同じ顔をしているのです。泣くでもなく、わめくでもない。ただ、無表情、放心状態のような顔、顔、顔。感情を表すことさえできない絶望の中にいるようでした。道路には救急車、パトカーが並んでいて、救急隊の制服を着ている人たちがあちこち走り回っています。

 

現実ではないような、悪夢を見ているようで足が一歩も動きません。

ベルリン中央駅には、ポーランドからドイツ行きを希望する人たちの電車が一日に何便か到着すると聞いていましたが、その方たちを受け入れるために、駅前広場に大きなテントが設置されています。この人たちは、たった今到着した人たちなのでしょうか。

 

「なんでこんなことに」という思いが頭の中に渦巻きます。信じられないことに、倒れている老人を救急隊が助けているところを遠巻きにしてスマホで動画撮影をしている人も数人いました。

 

ベルリン在住の日本の方に聞くと、ドイツに滞在することを希望する方たちは、今のところ1年間の期限付きで滞在が許されているとのことでした。駅前広場のテントで受付をして、昔テーゲル空港があったところが避難民の短期間の滞在所になっているそうです。

 

この方たちの心の状態を想像すると、涙が出てきました。これからいったいどうなるのか、故郷に帰ることができる日が来るのか。そもそもなぜこの人たちはこんな目に遭わなければならないのか。しかし、もしかしたら将来日本でも同様なことが起こるのではないのか、そんな想像もしてしまいました。こんな理不尽なことが現実に目の前で起こっているのだから。

 

その場から離れ、駅の反対側へと歩く時は、最初来た時とはまったく違う、不穏な気分になっていました。背中に背負っていたリュックサックを前に持ちなおして胸に抱き、速足でホテルに戻ります。恐ろしいものを見てしまった、という気持ちでとにかく安心できるホテルに逃げ込みたかったのです。ホテルの部屋に入り、ドアを閉めてベッドに座り込むと深いため息が出ました。

 

これから長く、ウクライナの方たちの苦悩は続くことになるでしょう。そして、ロシアとヨーロッパの間の溝は以前にもまして深く、広くなっていくのでしょう。その溝が埋まる日は来るのでしょうか。

 

気分を取り直して、運動不足を解消するためにブランデンブルク門まで歩きました。ウンターデンリンデン通りを歩いていくと、巨大なロシア大使館がブランデンブルク門の手前にそびえています。東西冷戦時代は、東ベルリン市民を支配し、監視していた存在です。ベルリンの方たちはどんな気持ちでこの建物を見ているのでしょうか。

 

ブランデンブルク門の近くでは、ウクライナを支援する人たちの集会が開かれていました。いくつかの博物館などの公共施設でも、ウクライナの国旗を掲げてウクライナの人たちを支援する気持ちを表しているところがありました。

21世紀に、こんな日が来るなんて誰が想像したでしょう。一日も早くウクライナに平和が訪れるように祈らずにはいられません。