フィリピンで出会った古老 | geneumiのブログ

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【少数民族の楽園】

フィリピンで出会った古老

 

人生には不思議な出会いがある。

フィリピンでのこと。

あるとき、ひょんなことから見ず知らずの土地を訪ねた。

 

マニラの北、ブラカン地方への一泊旅行。

 

 

途中、山の中を走った先にポツリと一件の家があった。

その主は、誘ってくれたR氏の土地の管理を引き受ける古老。

R氏が用事があると言うので、しばらく、その家で待つことになる。

英語もろくに聞き取れない頃で、ただでさえよく分からない上にフィリピン人独特の強い訛が混じる。

 

老人は気難しい顔でぶっきらぼうな話し方。

二人だけになると、いきなり本題に入る。

 

「なぜ、日本は経済成長できたのか?」

 

勤勉で努力を惜しまず働いたから?・・・。

そんな通り一遍の返答では到底満足しそうも無い雰囲気。

 

彼は日本が戦争に負け、GHQ支配下で植民地になった経緯を知っている。

もちろん、否応無しに戦場になり、戦争当事国より多くの一般市民の犠牲者を出した上に、理不尽な要求を飲み込まざるを得なかったフィリピンの苦悩も知っている。

 

 

だが、言葉が聞き取れない、意味が分からない。

 

大筋では、マルコス大統領はこの一連の経緯を黙って見過ごしていたわけではない。

命がけの抗議を行い、とんでもない被害を被ったフィリピンへの補償を求めた、と。

 

この老人は農民ではないと思った。

その当時その辺の事情をよく知りうる立場に居たのかもしれない。

何しろR氏は専門学校の教師、彼の奥さんはフィリピンインクワイヤーの記者、インテリ家系である。

 

ま、ご存知の向きも多いと思うが、アメリカ(カバール)はフィリピンを騙した。

世界通貨ドルの基軸化に賛同すれば、フィリピンの戦後復興(大規模インフラ整備基金の拠出)を約束した。

だが、ビタ一文出さなかったのである。

 

フィリピンは当時、アジアの中では最も裕福な部類だった。

東南アジア諸国は自然に恵まれ、人々は一日中あくせく働かなくとも暮らせたのである。

しかし、長きに渡る植民地で豪勢な暮らしをするスペイン人を養うために(フィリピン国内にいるスペイン人の他に本国にいる王族以下多数の不労所得を稼ぐために)過酷な労働に明け暮れた。

 

風光明媚な土地は没収、穀倉地帯は軒並みプランテーション。

それでも、当時の穏やかな農業は自然環境を根こそぎ破壊するものではない。

 

ところが、第一次世界大戦以前(あるいは英国発祥の産業革命以降)、めまぐるしい勢いで機械化が進み、歩兵が銃で応戦する戦争のスタイルでは手に負えない時代になる。

ある意味、スペインもこの波に飲まれ、軍事の近代化に立ち遅れる。

本国でもそうなのに、遠く離れた植民地の軍隊を近代化する余力は無い。

 

昭和初期のマニラは石畳の幹線道路を優雅に自動車が走り、スペイン風の街並のあちらこちらに熱帯特有の街路樹が植えられていた。

独特の風情で、マニラが近隣諸国の憧れの的だった時代がある。

古老はその最後の時代に生まれた。

 

スペイン統治時代の街並が残るイントラモルス。

この建物はアメリカ人が買い取り、レベルの高い骨董や調度品を売るショップになっている。

 

日本は無名の極東の島国に過ぎなかった(少なくとも古老の中では)。

そしてアメリカにコテンパンに負けて無条件降伏。

これは完全な植民地化を意味するもので、国土の分割統治が前提である。

しかし、いくつかの幸いが重なって、日本が独立を認められた。

 

それにしても、わずか20年ほどで目を見張る経済発展が始まるとは誰も予想だにしなかった。

古老はその急激な変貌に強い関心を持った。

いつか、日本人がやって来たら訊ねたいと思っていたと話した。

 

当ブログ管理者は以前から経済至上主義には否定的である。

だが、言語能力が足りず、それを説明できない。

 

それでも懸命に会話を試みた。

フィリピンの自然に魅力を感じること。

その頃、植林を試みた一帯が太平洋戦争で破壊されたジャングル跡地であること。

そして、一度壊れた自然が再生するのは非常に困難なこと。

そして、フィリピンが工業立国として日本やアメリカや中国のような経済発展をするのが望ましいとは思わないことなど。

 

何処まで話が通じたかは皆目見当がつかない。

彼はフィリピンに保管されたゴールドの件にも触れたが、内容は分からない。

だが、その辺の詐欺師が言う、山下ゴールドのレベルではない。

 

アメリカ(カバール)に騙されたマルコス。

お隣のインドネシア、スカルノの失脚やその後の経緯とも関連していることはなんとなく分かった。

 

彼は自然環境の大切さは否定しない。

だが、諸外国と比べて著しく遅れた工業化を嘆いた。

 

原因は戦後補償で完成するはずだった国内の基本インフラが未だに手つかずのまま。

これが諸外国から30年遅れてしまった原因だと憤る。

 

 

その後、道すがら巨大な工業施設を目にした。

シリカを取る鉱山だと言う。

残念ながら資本も経営者も中国人。

 

その後、R氏が経営するホテルで一泊。

庶民的なホテルだが目の前が緑のダム(マニラ一帯の水資源を確保するための広大な森)。

 

当時は夢中で、この老人の悔しさが良く理解できなかった。

フィリピン自体は戦勝国でも敗戦国でもない。

しかし、一方的な蹂躙に晒されて何の補償もないのである。

 

時が経つほど不思議な感覚に襲われる。

何も知らずに騙され続けた結果が如何なるモノか?

 

今は身に染みて分かる。

彼が伝えたかったのは、大きな力に屈するしかなかった悲痛。

 

薄汚い手口は知っている。

もはや、騙され続けるつもりはコレッポッチもない・・・

 

例えるなら、ジミン・コウメイ・イシンに屈する無様な日本人である。

日一日と背負わされる苦悩がこの先も延々と続くことなど想像だにしない。

 

あのメチャクチャな答弁。

説明責任をハナから放棄した監房腸管の記者会見。

フタをされ、好き放題やられっぱなしの売国政治。

そのツケはこれからやって来る。

 

カバールに騙された実害は子孫の生きる余地を喰い散らかす。

日本人はもう充分に負債を負って、1秒も時間を無駄にできないのだが、その自覚すらない人間が多過ぎる。

 

経済力、政治行政の民主度レベル、報道の自由、国民の幸福感は三流以下。

 

騙しのピーク、バル崩壊、リーマンショックを経ても、未だにTPPなんて絵空事に執着する亡霊に騙される愚か者。

取り返しがつかないところまで護送船団される羊の群れ。

 

当ブログ管理者もこのままでは、ブラカンの古老と同じ悔しさの海中に沈んだままで人生が終わる。

 

人生の大半を騙されたなら生き恥を晒すも同然。

まして、気づきもしないなら犬死ですらない。

 

その後悔は極貧よりも死に直面する苦痛より辛い。

 

三流でも五流でも構わない。

だが、政治経済、社会の仕組み自体がニセモノの土俵。

その意味は、スタートラインにすら立てていない現実。

 

余りに哀れで直視できないのか?

 

残念だが日本が歩んだこの70年余、日本人は水面に浮上して呼吸するクジラの慢性的な呼吸困難。

肺一杯に空気を吸ったことがないまま、苦しい生涯を終えるのである。

 

なぜ、あのとき、ブラカンへ導かれたか?

 

「君は、偽りでない世界で生きよ」。

 

ブラカンの古老の目がキラリと光った瞬間がある。

 

・・・

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