「柔らかな視線で優しく触れ、控えめに話し多くを聞け」

 

今回は、私がビジネスの場で非常に参考にしている「魔女の信条」についてご紹介します。




「魔女」と言うと、最初に思い浮かぶのは魔女狩りでしょうか。

 

西洋史において「魔女」たちは、苛烈な迫害を受けて来ましたが、その正体は、キリスト教化前のヨーロッパにおける「自然崇拝、多神教的」な世界観におけるシャーマン、あるいは司祭のような存在だったと言われています。

その伝統は、細々と語り継がれ、現代に残されているものがあります。

 

私は、ふとしたきっかけで、この魔女の信条をみつけ、これほどビジネスのみならず人生全般で為になるものは無い!と思い、ノートに書き込み、折に触れて読み返しています。

 

この信条、西洋のものではあるものの、日本人の感性に深く共鳴するところがあります。

 

「視線で触れる」と言う箇所は、日本では美しい物や可愛らしい物を見るときに「愛でる」と言う感覚と通じます。

「控えめ」も非常に日本的な価値観ですし、「聞くこと」に重きを置いているところも然り。

 

これが西洋で生まれたものであると言うことは、やや意外な印象さえ与えます。

しかし、キリスト教が広がる前のヨーロッパには、日本の古神道的な精神と共鳴する世界観があったのです。それが、キリスト教とローマ教皇の支配下では「異教」と排斥されました。

 

でも、文化に流れる精神的支柱はそう簡単に消し去れるものではなく、いろいろと形を変えて継承されてきているのです。

 

現代の「魔女」の実践は「ウィッカン」と称され、20世紀初頭に、インドなどに旅をした人たちが、ヨガやヒンドゥー経などに触発され、「異教時代」の「魔女」の伝統の「復活」を志したところから始まっています。その時代ごとに新たなエッセンスを取り込みながら、少しずつ広がりを見せてきたようです。

 

1970年代のサンフランシスコを中心に広がったヒッピーカルチャーは、ヨガや仏教などの東洋的な精神思想を多くの若者に広げました。そして、アロマテラピーなどの様々な「代替医療」なども一般化し、現代では、欧米人も「エネルギー」という言葉をごく自然に使います。エネルギーを中国語・日本語で表す「Chi / Ki」も一般的に使われています。

 

この流れと、西洋の異教時代の伝統である「ドルイド信仰」や「魔女」の思想や慣習、アメリカのネイティブ・アメリカンの精神性や儀式が組み合わさったのが現代の魔女である「ウィッカン」だと言えるでしょう。

 

部分的にですが、改めて「魔女の信条」をご紹介しましょう、訳は私の独自です:

 

魔女の道は愛と信頼の完成にある

生き、生かせよ

平等に取り、平等に与えよ

円を描き、邪悪な霊を追い出せ

やわらかな視線でやさしく触れ 

控えめに話し、多くを聞け

朗らかに会い、朗らかに別れる

頬の血色を良くし、ハートは温かく

悪意の呪い(のろい)は3倍の悪になって戻るが、

善意の呪い(まじない)は3倍の幸せになって戻ってくる

誰をも傷つけず、汝の成すべき使命を果たせ


 

大事な交渉や会議の際は、この「ウィッカ・魔女の信条」を思い出し、心の中で唱えることもあります。

 

「円を描く」と言うのは、悪魔の儀式などで有名な「円陣」のことですが、結界を作り、汚れを祓い、エネルギーを清める古神道と同じです。

 

そして、心と考え方の姿勢としても、交渉の場では、お互いにとって「ウィンウィン」であることが大事:「平等に受け取り、与える」。

また、「ここぞ」と言うところでは誰もが肩に力が入って話しすぎてしまいがち。

そんな会議の場では私はあまり喋らず、ひたすら「聞く」ようにしています。

そして、「優しい目」で会議に参加する人とちょっとずつ目を合わせて「愛」を送るようにします。

 

そうしながら注意深くその場の議論と空気を観察していると、一番言うべきこと、一番の問題点、そしてそれを一番効果的に伝える「タイミング」がはっきりと分かります。なんとなく「降りてくる」みたいな感じでw。それこそ「マジック」の様に。

 

その様に発言すると、それまで一人ひとりにあなたが与えてあげた「愛」が返礼されるのです、「発言の機会」と全員の「納得」として。

 

ただ、鍵は「善意」であることを忘れないようにしてください。

「3倍の法則」があるからです。

日本でも「言葉」には「言霊」があるから、自分が発した呪いの言葉は自分に帰ってくるから、発言には気をつけなさいと言われたりします。

 

魔女も同じで、良い魔術は3倍のリターンで返ってくるものの、悪いことも「悪いこと」として3倍になりますから、お気をつけください...