ハービー・ハンコックはマイルスの「Bitches Brew」には参加していないが、フュージョンの立役者の一人である。そして、その70年代の代表作がこのアルバムだ。ハンコックは、複雑なモダンジャズの曲を書く傍ら、シンプルなリズム&ブルースの曲を作るのもうまい。このアルバムではそうした彼のポップな作曲センスと、エレクトリック・ピアノやシンセサイザーへの興味と、ファンクバンドが生み出すグルーヴが混ざり合って独特のサウンドを生み出している。

 

 アルバムを聞き始めて最初に耳に飛び込んでくるのは、アープ・オデッセイ(シンセサイザー)で演奏されたファンキーなベースラインだ。クラフトワークやYMOで聞いている人も多いだろうが、この時代に録音されたアナログ・シンセのサウンドはそれだけで一聴の価値がある。もう一つ、すぐにわかる特徴は(このアルバムを通しての特徴でもある)、ハンコックがファンク・ギターを模倣したラインをクラヴィネット(エレクトリック・ピアノ)で弾いていることだ。

 

 この曲(「Chameleon」)でハンコックは、シンセのサウンドを活かした効果音的なソロと、エレクトリック・ピアノを使ったジャズのソロの2つのソロをとっている。2つ目のソロは、曲のおおよそ真ん中にあたる8:30から始まる。シンセパッドをストリングスのような効果で使い、ベースもシンセからエレキベースに変えて、曲の前半とは違う音楽空間になっている。まるで、別々の曲がつなぎ合わされているかのようだ。ハンコックの2つ目のソロが終了した後、13:20から曲の最初に戻りサックスがソロをとり、そのままフェードアウトして終了する。

 

 2曲目の「Watermelon Man」はセルフカバーだ。ビール瓶の口に息を吹きかけ、パンパイプのようなサウンドでリフを演奏することから曲がスタートしている。ピグミー族の音楽にインスパイアされたということだ。アフロ・ファンクというジャンル(アフリカ人によって演奏されたファンク)というジャンルもあるくらい、ファンクとアフリカ音楽の親和性は高い。お互いに多数の楽器奏者による複雑なリズムの絡み合いでうねりを生み出すことを目的としていて、コード転回や歌詞といったものは飾りに過ぎない。この曲はシンコペートした(裏拍を強調した)ベースが中心となり、ビートがまとめられている。特に「Watermelon Man」のメロディを使う必要はなかったように思うが、そこはファンへの目くばせだったのだろう。かくいう僕も、最初に聞いたときには、「あ、この曲知っている」と思って少し嬉しくなった。

 

 スライ・ストーンへのオマージュであろう「Sly」という曲は、ハンコックらしい凝ったイントロとメロディを持った曲だが、中盤からはファンクビートの上で少しアウトな即興が繰り広げられる。僕にはそれが少し冗長に感じられて、あまり楽しめない。マイルスの「Bitches Brew」も同じような時間があるのだが、それを「冗長」とは感じない。あちらはより実験的で、「何かが起こるかもしれない」という期待が常にそこにある。まあ、もしかしたら単にベニー・モウピン(サックス)の演奏が好きではないだけかもしれないけど。

 

 アルバムは「Vein Melter」で終わる。スローな曲で、オーケストラの代替物としてのシンセの可能性を模索したアレンジになっている。70年代から今に至るまで、オーケストラの代替物としてシンセの利用はどんどん進んだので、現代の耳で聞くと面白さはあまりない。もちろん批判ではなく、こうした実験があってシンセやデジタル・ミュージックが発展していったのだから、功績は大きい。