ハービー・ハンコックは、デューク・エリントンやセロニアス・モンクと肩を並べる、ジャズの「大」作曲家である。このアルバムを録音したときはまだ24歳だったが、すでに「Watermelon Man」や「Cantaloupe Island」といった名曲を生んでいた。このアルバムからは「Maiden Voyage」と「Dolphin Dance」がスタンダード(ジャズ・ミュージシャンであれば誰もが演奏できる曲)に加わった。

 

 ハービー・ハンコックの作品には緻密なバランス感覚がある。このアルバムでは、モードジャズやフリージャズの要素が取り入れられているが、それがビバップの特徴である機能和声(安定(トニック)と不安定(ドミナント)を繰り返すクラシック音楽のコード理論)とうまく組み合わされており、実験的な雰囲気がない。

 

「The Eye of the Hurricane」は、マイナーブルースをモードで演奏した曲だ。ブルースをモードで演奏するというコンセプトは、マイルスの「Kind of Blue」に収録されている「Freddie Freeloader」と同じだが、ブルースのコード転回を使わない複雑なメロディから始まるところが新鮮だ。このメロディのパートは、伴奏と旋律に分かれておらず、ドラムやベースも含めてリズムが止まったり、6/4拍子になったりと、かなり複雑な12小節である(2回繰り返される)。もし、この12小節のコード転回で即興を展開しようとしていたら、複雑になりすぎて実験的な印象を与えていただろう(コルトレーンの「Giant Steps」を聞いてもらえれば、「実験的」という意味を理解してもらえるはずだ)。それを、「即興が始まったら普通のマイナーブルース進行でいこう」と判断できるのが、ハービー・ハンコックのプロデューサー的な「バランス感覚」である。

 

「Survival of the Fittest」もよく練られた曲だ。即興はフリーで演奏されるが、ビバップのフレーズが身体に染み付いているフレディ・ハバート(トランペット)の演奏は、まるでコード転回をなぞっているかのように和声的である。次に、トニー・ウィリアムズ(ドラム)の短い即興を挟んで、ジョージ・コールマン(テナー・サックス)のソロに入る。このときに演奏している4人は、前年までマイルスのクインテットのメンバーであり(1964年に、ジョージ・コールマンはウェイン・ショーターと入れ替わった)、息の合った自由な演奏を聞かせてくれる。ピアノソロではさらに自由になる。ハンコック(ピアノ)とトニー・ウィリアムズ(ドラム)のデュオで、クラシック音楽のようなドラマチックな展開のある音楽を聞かせてくれる。

 

 このアルバムは「海」をテーマにしている。まず、船出(「Maiden Voyage」)があり、次に嵐(「The Eye of the Hurricane」)に遭遇して、凪の時間(「The Little One」)の後に、弱肉強食の争い(「Survival of the Fittest」)が繰り広げられる。そして、水面をイルカが跳ねる祝祭的な風景(「Dolphin Dance」)でアルバムは終了する。「Dolphin Dance」は、5音のモチーフが転調していくメロディが印象的な曲だ。アントニオ・カルロス・ジョビンの曲と作りが似ているが、あくまで音感で作曲をしてそうなジョビンに対して、ハンコックは理詰めで作っているようにみえる。コードに沿った即興演奏をするのに適した曲で、スタンダードになったのは必然だっただろう。