「渋谷系」というのは、60年代のポップスをパクって別の曲を作るムーブメントだったが、その中にあって、FPM はヒップホップのようにネタをサンプリングして、そのうえにリズムやコードを重ねて音楽を作った。United Future Organization も同じような音楽の作り方をしていたが、U.F.O. は原曲に対するリスペクトが強かったのに対し、FPM は独自の世界観を表現するためにサンプリングしていて、個性が強かった。セレクトショップとデザイナーズブランドの違いみたいな感じ、と言って通じるだろうか。

 

 では、何が FPM の個性か? と聞かれると、説明が難しい。まず挙げられるのは、「エレクトロへの愛着」だろう。原曲に強くエフェクトをかけたり、細かく切ってリピートすることを楽しんでやっている。それから「ラヴソングへの執着」だ。FPM のサウンドやコード感は、常に恋人たちに向けられているように思う。ただ、最終的には、「FPM の音楽は田中知之のデザインセンス」としか言えない。ここまで個人によってデザインされた音楽は非常に珍しいし、それがファッションハウスのレセプションパーティやアフターパーティに FPM が欠かせない理由だろう。

 

 FPM の音楽は、何かをしながら聴く音楽でもある。村上春樹のサウンドルームの高級スピーカーで鳴らして、ソファに潜り、ブランデーを片手に聴くような音楽ではないのだ。それよりも、フロアで踊りながらだったり、自宅で恋人とメイクアウトしながらだったり、レセプションパーティで新作のサングラスをかけて自意識をびんびんにしながら美女を横目で探したりしながらだったり、週末に部屋に掃除機をかけながらだったりしながら聴くのに適している。エレクトロニック・ラウンジ・ミュージックとでも言えばいいのだろうか。

 

 細野晴臣が YMO を作ったときの最初のコンセプトは「マーチン・デニーの『Firecracker』をディスコビートでカヴァーして200万枚を売る」とかだったと思うが(30年くらい前に雑誌かなんかで読んだ記憶なので、不正確な引用ですみません)、FPM は図らずもそれを地で行ってしまった。マーチン・デニーの音楽を知っている人であればわかると思うが、彼の音楽は完璧なラウンジ・ミュージックだ。カート・ヴォネガットの「チャンピオンたちの朝食」が映画になったときに、ホテルのラウンジでマーチン・デニーの音楽が流れて長年の溜飲が落ちたのを覚えている。つまり細野はエレクトロニック・ラウンジ・ミュージックを作りたかったのだが、YMO はちょっとポップ過ぎた。もちろん細野もそのことは自覚していて、「BGM」というハードコアなアルバムを作った後で「やっと蕎麦に十分なつゆを付けて食べれた」と発言している(30年くらい前に雑誌かなんかで、、、以下、略)。

 

 ピチカート・ファイヴが解散したときに渋谷系は終わりを告げたが、FPM はまだ健在で、当時の延長線で音楽を作っている。そしてそれが全然古くなっていない。洋服と同じように、本物は決して流行遅れにならないし、色褪せないし、コピーもできないのだ。