ごぶさたしております。
すっかり更新をサボっておりました。
前記事(劇団うてな公演の話)以降、GWに和歌山や京都・滋賀へ日帰り旅行に出かけたのですが、その話を書こうとしていたのですが、すっかり忘れておりました。もう思い出せそうにないのであきらめてください。
さて、ちょっと重たい話になりそうなので、これ以上見たくないと思われた方はブラウザのバックボタンをポチっとクリックしてください。
さて今回のタイトルですが、日本語に訳すと「価値のない~、役立たずの~」という意味になります。なぜ、こんなタイトルにしたかと言うと、去る8月10日~17日、神戸アートビレッジセンター(KAVC)で行われた「tansa」こと南 和貴先生の個展に行ったときのお話しをしたいと思い、その個展のタイトルを拝借させていただきました。
南先生と私との関係は、私の高校時代にまで遡り、私が高校の演劇部(正式には総合演劇部・現:映画演劇部)に応援要員として引っ張り出された時から始まりました。
それからここ10年近くご無沙汰(ただ、家が近所と言うこともあり、時々顔を合わせてはいましたが)していましたが、なかなか話し込む機会もなく、先月ぐらいにこの個展の関係で頼まれごとを先生から受けたのが久しぶりの会話でした。
さて、本題に移りたいと思います。今回は13日と17日の2回、足を運びました。
13日の回は、高校の演劇部そしてその流れで所属することとなった劇団の公演チラシその他に目が釘付けになり、あまりの懐かしさに思考回路が停止し感想どころではなくなってしまいました(苦笑)。
ただ、やっとの思いで一言絞り出すとすれば「あの頃はほんとにムチャクチャやってたよなぁ…」と。
公演日程を見ると東京3ステ神戸5ステの計8ステ、強烈なのが東京5ステ神戸7ステの計12ステ…今同じことをやると聞くと全力で反対するだろうな、というより反対する!
そんな状態なので改めて17日(ホンとはもっと早い時期に行きたかったのですが雨続きで行けませんでした)に改めて行かせてもらいました。
そのとき何やらどこかで聞いたような声が…声の主のほうを覗いてみると、俺のいた学科の一つ上の学年の担任(当時、後に校長となる。現在は別の高校の校長をされていて、今年度で定年されるとのこと)の先生が!
お互い色々な状況を話し合い、お互い元気そうで何よりと言うことと、9月に開催されるウチの学科のOB総会に参加しろゴルァ!といわれ続け(他の工業高校は分からないが、専門科目教員とは在学中は教師・生徒の関係だが、卒業すると今度は先輩・後輩の関係が一生続く)、こちらはひたすら頭を下げ続け、「また会おうな」と言って別れた。
さて、ここからが本当に重い話になるので、これ以上見たくないと思われた方はブラウザのバックボタンをポチっとクリックしてください。
今回のタイトルと連動するのだが、17日の帰り道、自分と演劇との関わり方について改めて考えた。
その中で、「自身は演劇(劇団ではない)にとって価値のない、若しくは役立たずな存在なのではないだろうか?」と深刻に考えた。もう、いっそのこと手を切ろうかと思うぐらい深刻に考えた。
なぜそんなことを考え出したのか理由ははっきりと分からない。単に気分的にそう思ってしまったのかもしれない…それならまだいいのだが。
「役者」としてはもう10年前にもうこれ以上舞台に立つつもりはないと決めたのでそれはそれでいい。
演技についても我流に近い状態でやってきたので体系だてて人に教えるなんてことはできない。
だが、それ以外に何か別の限界を無意識のうちに感じてしまったのではないのか?
精神的?肉体的?それともそれ以外?本当に分からない。
来年で、演劇に関わってちょうど25年の節目になる。
決断を迫られることになるかもしれない。