一時の感情に流されてもいい。それが、○○○○なのだから。
その場面を目撃した、当事者になれた、居合わせた、証人になれた、幸せな気持ちになれた!
それが、あるからやめられない、あきらめられない。大人が恥ずかしくもなく、素直な気持ちになれるのはとてもスバラシイ事!感情をあらわにできるのは滅多にある事ではない。
日常に「それ」がある幸せ。
それはそれで全く良くて、立場や携わり方によって感じ方は違う、という事だけは忘れないでいたい。
現状を、第三者やステークホルダーからみると・・・注意しなければいけない。
なぜなら、同じ気持ちを共有できているわけでないから、その場に居合わせていないから。願わくば、同じ気持ちを共有した人の中にステークホルダーがたくさんいて、○○○○にはこんな力があるんだ!という事に改めて気付いてくれれば、と切に思う。居合わせたその人に力や影響力があれば、それは当事者の言葉として言霊となり、想いを伝播させていくことも可能だろう。
「その人(たち)」がその場にいた、という事を願いたい・・・。そういう場を設定していた、という当たり前のことが出来ていた、と思いたい。
物事には主観と客観の両方で見ることが必要だ。結果が全て、と考えている人も多いことだろう。
同じ轍を踏まないためにも猛省し発展を望む。
しっかりと外の世界を、その業界の常識を、ライバルたちをみよう。井の中の蛙で終わるか大きく発展するか。
ここからが正念場だ。「勉強」必要です。
では。