定期購読している雑誌の中に「SAPIO」というものがあります
怱々たる執筆陣を誇る、小学館発行の隔週発売の国際情報誌で、売国奴集団民主党の太鼓持ちに成り下がった大マスコミとは違い、タブーを恐れぬ鋭い記事が満載
御存知の方も多いと思いますが、小林よしのり氏の「ゴーマニズム宣言」も此処に連載されています
それら綺麗星の如きレギュラー執筆者の一人、深川峻太郎氏が、最新号に書いたコラムが秀逸なので、本日はそれを御紹介致したいと思います
ごゆっくり御覧下さいませ
日本人のホコロビ 第51回
深川峻太郎
過敏な人々
世の中には、ある種の刺激にやたらと過敏な人々がいる。
昔からよく知られているのは「すぐに軍靴の響きを幻聴するタイプ」だ。
運動会で整列する小学生を見ただけで
「軍靴がぁぁぁ!」
と耳をふさぐ人も、いるとかいないとか。
気の毒なほどの過敏さである。
これは私の推測だが、震災後に出現した「自然放射線レベルの被曝でこの世の終わりみたいに取り乱すタイプ」も、軍靴幻聴族と重なる部分が大きいに違いない。
私の見立てでは、このタイプは「何となく戦争っぽいもの」に対するセンサーが過敏なのだ。
だから、同じ発癌性があっても排気ガスや電磁波はスルー。
しかし「被曝」は「被爆」を連想させる(そもそも区別できていない人も多い)から、過剰反応するのである。
まあ、向こうから見れば、私のほうが鈍感なのだろう。
たとえば電磁波過敏症の人々の中には
「体に悪いものに反応するのは正常だ。
むしろ症状のない人々を『鈍感症』と呼ぼう」
という意見もあるらしい。
物事の見方って、いろいろですね。
だからって鈍感症のほうを治すわけにもいかないとは思うが。
電磁波過敏症のことはさておき、「戦争っぽいものに過敏なタイプ」は、子供のように心が傷つきやすい。
そのため、しばしば「精神的苦痛」に対する損害賠償を求める習性がある。
福島の原発事故でも、
「不安や恐怖によって精神的苦痛を受けた」
として、ある男性が東京電力に10万円の慰謝料を求める訴訟を起こした。
地元福島ではなく「東京都内の46歳」だ。
この裁判にどれだけの国費が使われるのか知らないが、納税者として、その損害賠償を請求したいくらいだよ。
精神的にも肉体的にも経済的にも多大な苦痛に耐えている被災者の存在を思えば、これこそ「不謹慎」だろう。
それに、10万円で癒される程度のセーシンテキクツーでいちいち誰かを訴えていたら、人生、裁判だけで終わってしまうじゃないか。
しかし、このタイプはメンタリティーが小児的なので、苦痛を我慢できない。
その典型が「君が代」にセーシンテキクツーを感じる教員たちだ。
最高裁では校長の起立命令が合憲とされたが、命令されなくたって、式典で司会者が起立を促したら黙って立つのが大人ってもんだろう。
しかも、私たちの国歌はものすごく短い。
ブラジル国歌なんか、イントロだけでも君が代より長いくらいだ。
ほんの45秒で終わる国歌斉唱も我慢できないなんて、法事でじっとしていられずに走り回るガキ以下の忍耐力である。
そこで大阪府議会では、通称「国歌起立条例」が可決された。
校則かよ。
これを大人に適用することの是非が真剣に議論されること自体が情けない。
ちなみに私は昨年、小学校の卒業式と中学校の入学式に出席したが、いずれも校長の「開会の辞」に先立って全員を起立させ、そのまま国歌斉唱に持ち込むという作戦だった。
「君が代のための起立ではない」
という体裁を取っているわけだ。
それはそれで一つの知恵ではあるが、グズる子供に飴玉を与えて騙し騙し静かにさせるのと何が違うのかとも思う。
だいたい、条例の強制力や妙な作戦で表面的な「全員起立」が実現したとして、それが何だというのか。
難儀なセーシンテキクツーは温存される。
だったら、いっそ起立しない連中は好きにさせて、みんなで
「お行儀が悪いねぇ」
と軽蔑すればいいんじゃないかな。
お互い、そのほうが苦痛が少ないと思う。
あるいは、思い切って卒業式の日の丸と君が代を一度やめてみるのもいいかもしれない。
というのも、起立しない教員は、実のところ、在日コリアンや中国人の生徒に苦痛を与えるのを気にしている。
それが
「戦争の辛い記憶を呼び覚ます」
というわけだ。
でも、君が代で蘇るような記憶は、日本という国号だけでも蘇るでしょ?
思い切って国号を変えたって、この列島にこの民族が暮らしているかぎり、向こうは「戦争の傷が」と言い続ける。
相手はシタタカだ。
単に歌や旗ごときで傷つくほどナイーブではない。
それがわかれば、彼らの「過敏症」も治るのではないか。
治った彼らが
「どうせ俺たちゃ日本人なんだから、みんなで君が代を歌おうぜ!」
と自ら立ち上がるシーンを、私は一人で夢想するのだった。
自らの主張をしっかり伝えながらも、ユーモア溢れる視点と語り口が、この種の論争にありがちな殺伐さを見事に抑え込んでおります
日の丸君が代にシャカリキになって反対しているガイキチどもも、これを読んだら思わず苦笑するのではないでしょうか
ビートたけし師匠に通じる名人芸ですね
皆さんは如何思われましたか
是非教えて頂きたいのです


宜しくお願い申し上げます
m(__)mo(^-^)o(^0^)/

怱々たる執筆陣を誇る、小学館発行の隔週発売の国際情報誌で、売国奴集団民主党の太鼓持ちに成り下がった大マスコミとは違い、タブーを恐れぬ鋭い記事が満載

御存知の方も多いと思いますが、小林よしのり氏の「ゴーマニズム宣言」も此処に連載されています

それら綺麗星の如きレギュラー執筆者の一人、深川峻太郎氏が、最新号に書いたコラムが秀逸なので、本日はそれを御紹介致したいと思います

ごゆっくり御覧下さいませ

日本人のホコロビ 第51回
深川峻太郎
過敏な人々
世の中には、ある種の刺激にやたらと過敏な人々がいる。
昔からよく知られているのは「すぐに軍靴の響きを幻聴するタイプ」だ。
運動会で整列する小学生を見ただけで
「軍靴がぁぁぁ!」
と耳をふさぐ人も、いるとかいないとか。
気の毒なほどの過敏さである。
これは私の推測だが、震災後に出現した「自然放射線レベルの被曝でこの世の終わりみたいに取り乱すタイプ」も、軍靴幻聴族と重なる部分が大きいに違いない。
私の見立てでは、このタイプは「何となく戦争っぽいもの」に対するセンサーが過敏なのだ。
だから、同じ発癌性があっても排気ガスや電磁波はスルー。
しかし「被曝」は「被爆」を連想させる(そもそも区別できていない人も多い)から、過剰反応するのである。
まあ、向こうから見れば、私のほうが鈍感なのだろう。
たとえば電磁波過敏症の人々の中には
「体に悪いものに反応するのは正常だ。
むしろ症状のない人々を『鈍感症』と呼ぼう」
という意見もあるらしい。
物事の見方って、いろいろですね。
だからって鈍感症のほうを治すわけにもいかないとは思うが。
電磁波過敏症のことはさておき、「戦争っぽいものに過敏なタイプ」は、子供のように心が傷つきやすい。
そのため、しばしば「精神的苦痛」に対する損害賠償を求める習性がある。
福島の原発事故でも、
「不安や恐怖によって精神的苦痛を受けた」
として、ある男性が東京電力に10万円の慰謝料を求める訴訟を起こした。
地元福島ではなく「東京都内の46歳」だ。
この裁判にどれだけの国費が使われるのか知らないが、納税者として、その損害賠償を請求したいくらいだよ。
精神的にも肉体的にも経済的にも多大な苦痛に耐えている被災者の存在を思えば、これこそ「不謹慎」だろう。
それに、10万円で癒される程度のセーシンテキクツーでいちいち誰かを訴えていたら、人生、裁判だけで終わってしまうじゃないか。
しかし、このタイプはメンタリティーが小児的なので、苦痛を我慢できない。
その典型が「君が代」にセーシンテキクツーを感じる教員たちだ。
最高裁では校長の起立命令が合憲とされたが、命令されなくたって、式典で司会者が起立を促したら黙って立つのが大人ってもんだろう。
しかも、私たちの国歌はものすごく短い。
ブラジル国歌なんか、イントロだけでも君が代より長いくらいだ。
ほんの45秒で終わる国歌斉唱も我慢できないなんて、法事でじっとしていられずに走り回るガキ以下の忍耐力である。
そこで大阪府議会では、通称「国歌起立条例」が可決された。
校則かよ。
これを大人に適用することの是非が真剣に議論されること自体が情けない。
ちなみに私は昨年、小学校の卒業式と中学校の入学式に出席したが、いずれも校長の「開会の辞」に先立って全員を起立させ、そのまま国歌斉唱に持ち込むという作戦だった。
「君が代のための起立ではない」
という体裁を取っているわけだ。
それはそれで一つの知恵ではあるが、グズる子供に飴玉を与えて騙し騙し静かにさせるのと何が違うのかとも思う。
だいたい、条例の強制力や妙な作戦で表面的な「全員起立」が実現したとして、それが何だというのか。
難儀なセーシンテキクツーは温存される。
だったら、いっそ起立しない連中は好きにさせて、みんなで
「お行儀が悪いねぇ」
と軽蔑すればいいんじゃないかな。
お互い、そのほうが苦痛が少ないと思う。
あるいは、思い切って卒業式の日の丸と君が代を一度やめてみるのもいいかもしれない。
というのも、起立しない教員は、実のところ、在日コリアンや中国人の生徒に苦痛を与えるのを気にしている。
それが
「戦争の辛い記憶を呼び覚ます」
というわけだ。
でも、君が代で蘇るような記憶は、日本という国号だけでも蘇るでしょ?
思い切って国号を変えたって、この列島にこの民族が暮らしているかぎり、向こうは「戦争の傷が」と言い続ける。
相手はシタタカだ。
単に歌や旗ごときで傷つくほどナイーブではない。
それがわかれば、彼らの「過敏症」も治るのではないか。
治った彼らが
「どうせ俺たちゃ日本人なんだから、みんなで君が代を歌おうぜ!」
と自ら立ち上がるシーンを、私は一人で夢想するのだった。
自らの主張をしっかり伝えながらも、ユーモア溢れる視点と語り口が、この種の論争にありがちな殺伐さを見事に抑え込んでおります

日の丸君が代にシャカリキになって反対しているガイキチどもも、これを読んだら思わず苦笑するのではないでしょうか

ビートたけし師匠に通じる名人芸ですね

皆さんは如何思われましたか

是非教えて頂きたいのです



宜しくお願い申し上げます
m(__)mo(^-^)o(^0^)/