些か旧聞に属する話ですが、一頃、村上ファンドやホリエモン氏の派手な動きで、金融証券界が一躍注目を集めた時期があります
彼等のやり方を評価し擁護する方もおられた様ですが、私は到底そんな気にはなれませんでした
彼等は手段と目的を取り違えている様に感じられてならなかったからです
古銭コレクターでもない限り、金そのものに無上の価値を見出だすなどという方は、まず、いません
元来、金銭というものは、何かの目的を達成する為の道具である筈です
その目的には様々なものがあるでしょう
家を建てる、欲しい物を買う、老後に備える為や子弟の教育費として蓄える等々
金は飽くまでそれらの目的を叶える為の道具であり、手段の一つに過ぎぬという事を忘れてはなりません
己が金の主人でなければならず、金を制御する覚悟とスタンスを保っておかないと、人は容易に「金の主人」の地位から滑り落ち「金の奴隷」になってしまうからです
そうなった者の末路は悲惨です
皆さんも御自身の周りで、一人や二人はそういう例を知っておられるのではないでしょうか
村上ファンドやライブドア、リーマンブラザーズも、その轍に嵌まり込んだからこそ、市場からの撤退や業務の大幅な見直しを余儀なくされてしまったのです
金融は経済の裏方であって、縁の下にいてこそ力を発揮出来るのだという己等の業務の特性を忘れてしまった結果とも言えます
ユダヤの諺に
「金は最良の召使に成り得るが、最悪の主人にも成り得る」
というものがあります
「人生に必要なものは、多少の幸運と少しの金だけだ」
とは喜劇王チャップリンの箴言です
事程左様に、先人達は我々に繰り返し警告して下さっているのです
「金を制御せよ、汝ら金の主人たれ」
と
然し、金銭を過度に蔑んだり軽んじるのも、また大きな間違いだと言わざるを得ません
昨夜、NHKで再放送していた「ハゲタカ」を観ている内に、つい先日ある方のブログに付けさせて頂いた自分のコメントを思い出しました
以下に述べる事は前述した事と矛盾する様に感じるかも知れませんが、これも動かし難い現実だという事を踏まえて御覧下さい
私は
「愛だけは金で買えない」
等という、イカれた三文文学少女が吐かす様な戯言は一切信じておりません

大の大人がそんな事を本気で信じているとしたら、そういう者は世の現実を見ていないのです、若しくは目を逸らしているのです
私はそういう者の知性の欠如と感性の頑迷さを軽蔑します
現実はこうです
「愛だけは金で買えない」
どころか、世の中の大抵の愛や友情は金で買えます
「中には金で買えない愛もあるかも知れない」
と言った方が正しいと思います
長年家に寄り付かず親不孝ばかりして来た放蕩息子が、巨万の富を得て帰郷したらどうなるか
日頃から、縁を切った、勘当した等と言っていた事などどこへやら、親は涙を流して歓迎し、下にも置かない待遇をする事でしょう
然し、彼が無一文のまま帰って来たらどうなるか
親は彼の今までの不孝を詰り、水の一杯や食事すら与えずに叩き出すに違いありません
絶対に間違いありません
ましてや男女間の恋愛に於いてをや
断言しますが、女性が富める相手の求愛を振り切って、貧しい男と悲恋を貫く等は少女漫画かテレビドラマの中だけの世界であり、完全に虚構であります
現実には、そんな事は100%有り得ません
また、それで良いのです
経済的に自立していない男に恋愛する資格などありませんし、そういう意味で女性は実にシビアであり、相手の選別に情け容赦はありません
食べて行くのが精一杯という程度の甲斐性しか無い男と一緒になってしまえば、彼女自身だけでなく、やがて生まれて来る我が子も不幸になってしまうからです
身も蓋も無い言い方ですが、これが現実というものです
誤解を恐れずに申し上げますが、私は「愛」や「友情」や「信頼」などという言葉は経済用語だと思っているくらいです
とは言え、何も私は
「金が全てだ」
等と申し上げている訳ではないのです
先に私は、大抵の愛は金で買えると申し上げましたが、全てではありません
恐らく、九割五分までは間違いなく手に入れられるでしょう
然し、残りの五分だけは、誰のどんな力を以てしても手に入れる事は出来ません
自由にはならないのです
そしてその五分こそが、人間を人間たらしめている、至高の輝きを放つ珠玉だと信じて止みません

最後に、示唆に富む動画を御覧下さい

↓↓↓↓↓
儚さと真実と
詞訳
富なんてものは問題にもならない
恋なんて、考えただけで吹き出したくなる
名誉?
そういえば昔夢見た事もあったが、日が射すと忽ち消える朝露みたいなものだった
もし私が祈るとすれば、自然に口をついて出る祈りはたった一つ
「今の私の心を、このままそっとしておいてくれ
そして、ただ自由を私に与えてくれ」
という祈りだ
光陰矢の如く、どうやら私の終わりも近い
そこで私が求めるものは、ただ何ものにも囚われない一人の人間として、勇気を以て生に堪え、死に堪えて行く、という事だけだ
ラストシーンの、女の子の手に握られていた花は何を象徴しているのか、我々はよく考えてみなければなりませんね
では、明日一日頑張りましょう

また明日








彼等のやり方を評価し擁護する方もおられた様ですが、私は到底そんな気にはなれませんでした

彼等は手段と目的を取り違えている様に感じられてならなかったからです

古銭コレクターでもない限り、金そのものに無上の価値を見出だすなどという方は、まず、いません

元来、金銭というものは、何かの目的を達成する為の道具である筈です

その目的には様々なものがあるでしょう

家を建てる、欲しい物を買う、老後に備える為や子弟の教育費として蓄える等々

金は飽くまでそれらの目的を叶える為の道具であり、手段の一つに過ぎぬという事を忘れてはなりません

己が金の主人でなければならず、金を制御する覚悟とスタンスを保っておかないと、人は容易に「金の主人」の地位から滑り落ち「金の奴隷」になってしまうからです

そうなった者の末路は悲惨です

皆さんも御自身の周りで、一人や二人はそういう例を知っておられるのではないでしょうか

村上ファンドやライブドア、リーマンブラザーズも、その轍に嵌まり込んだからこそ、市場からの撤退や業務の大幅な見直しを余儀なくされてしまったのです

金融は経済の裏方であって、縁の下にいてこそ力を発揮出来るのだという己等の業務の特性を忘れてしまった結果とも言えます

ユダヤの諺に
「金は最良の召使に成り得るが、最悪の主人にも成り得る」
というものがあります

「人生に必要なものは、多少の幸運と少しの金だけだ」
とは喜劇王チャップリンの箴言です

事程左様に、先人達は我々に繰り返し警告して下さっているのです

「金を制御せよ、汝ら金の主人たれ」
と

然し、金銭を過度に蔑んだり軽んじるのも、また大きな間違いだと言わざるを得ません

昨夜、NHKで再放送していた「ハゲタカ」を観ている内に、つい先日ある方のブログに付けさせて頂いた自分のコメントを思い出しました

以下に述べる事は前述した事と矛盾する様に感じるかも知れませんが、これも動かし難い現実だという事を踏まえて御覧下さい

私は
「愛だけは金で買えない」
等という、イカれた三文文学少女が吐かす様な戯言は一切信じておりません


大の大人がそんな事を本気で信じているとしたら、そういう者は世の現実を見ていないのです、若しくは目を逸らしているのです

私はそういう者の知性の欠如と感性の頑迷さを軽蔑します

現実はこうです

「愛だけは金で買えない」
どころか、世の中の大抵の愛や友情は金で買えます

「中には金で買えない愛もあるかも知れない」
と言った方が正しいと思います

長年家に寄り付かず親不孝ばかりして来た放蕩息子が、巨万の富を得て帰郷したらどうなるか

日頃から、縁を切った、勘当した等と言っていた事などどこへやら、親は涙を流して歓迎し、下にも置かない待遇をする事でしょう

然し、彼が無一文のまま帰って来たらどうなるか

親は彼の今までの不孝を詰り、水の一杯や食事すら与えずに叩き出すに違いありません

絶対に間違いありません

ましてや男女間の恋愛に於いてをや

断言しますが、女性が富める相手の求愛を振り切って、貧しい男と悲恋を貫く等は少女漫画かテレビドラマの中だけの世界であり、完全に虚構であります

現実には、そんな事は100%有り得ません

また、それで良いのです

経済的に自立していない男に恋愛する資格などありませんし、そういう意味で女性は実にシビアであり、相手の選別に情け容赦はありません

食べて行くのが精一杯という程度の甲斐性しか無い男と一緒になってしまえば、彼女自身だけでなく、やがて生まれて来る我が子も不幸になってしまうからです

身も蓋も無い言い方ですが、これが現実というものです

誤解を恐れずに申し上げますが、私は「愛」や「友情」や「信頼」などという言葉は経済用語だと思っているくらいです

とは言え、何も私は
「金が全てだ」
等と申し上げている訳ではないのです

先に私は、大抵の愛は金で買えると申し上げましたが、全てではありません

恐らく、九割五分までは間違いなく手に入れられるでしょう

然し、残りの五分だけは、誰のどんな力を以てしても手に入れる事は出来ません

自由にはならないのです

そしてその五分こそが、人間を人間たらしめている、至高の輝きを放つ珠玉だと信じて止みません


最後に、示唆に富む動画を御覧下さい


↓↓↓↓↓
儚さと真実と
詞訳
富なんてものは問題にもならない
恋なんて、考えただけで吹き出したくなる
名誉?
そういえば昔夢見た事もあったが、日が射すと忽ち消える朝露みたいなものだった
もし私が祈るとすれば、自然に口をついて出る祈りはたった一つ
「今の私の心を、このままそっとしておいてくれ
そして、ただ自由を私に与えてくれ」
という祈りだ
光陰矢の如く、どうやら私の終わりも近い
そこで私が求めるものは、ただ何ものにも囚われない一人の人間として、勇気を以て生に堪え、死に堪えて行く、という事だけだ
ラストシーンの、女の子の手に握られていた花は何を象徴しているのか、我々はよく考えてみなければなりませんね

では、明日一日頑張りましょう


また明日







